本

『猫社会学、はじめます』

ホンとの本

『猫社会学、はじめます』
赤川学編
筑摩書房
\1800+
2024.6.

 猫学(ニャンコロジー)という頁が、讀賣新聞のウェブサイトにある。が、ここにあるのは「猫社会学」である。それは、新しい試みではないか、と編集者は言う。その精神に賛同した人々が、それぞれの立場から原稿を寄せてくれたらしい。メンバーの名は、新島典子・榎本三代子・秦美香子・出口剛司・斎藤環と挙げられている。
 猫についての学問的なアプローチとしては、人類と猫とのつきあいの歴史から扱うだろう。古代エジプトにおける猫との関わりは有名である。日本でも、江戸時代の猫ブームがよく知られている。また、猫の生態や性格、世界における猫の分布など、猫に関する知識を増やしてくれる分野の本は、それなりにある。
 だが、「猫社会学」は、そうした歴史的背景や、生態学的な猫の性質を近寄せはしない。また、猫仲間の社会活動を調査したというものでもない。
 猫社会学は、猫と人とが拘る場で起きることを探究するものであるようだ。
 そこには、感情も入るだろう。編者自身の猫経験を明らかにするところからしか、話は始められない。語るも涙、聞くも涙、という物語は、集まったメンバーそれぞれにあるだろう。しかし、これまで経験的に語られたことのある情報を、もう少し社会学的な方法を踏まえて、広く適用できる調査結果として役立てる必要があるのは確かだ。それも、かつてどうだとか、理想的にはどうだとか、そうした突き放した知識が求められているのではなく、いまここで人間と猫との関わりや関係がどうであるか、また、今後どうしてゆくのがよいであろうか、といった観点から、現実を見つめる眼差しがここにある。とにかくいま役立つことのできる事実というものがほしい。
 目次を追うことにしよう。最初は「猫はなぜ可愛いのか?」ときた。しかしそれを分析するための調査というところが、ただの個人的な趣味とは異なる。調査結果から、七つの「猫の魅力」が並べられているのは笑ってしまいそうだが、AIも分析に交え、ポストヒューマン社会までを視野に入れる。猫社会学には、ペットロスの感情や、猫ブームは何故、というような角度から、あるいは猫と人間との間にコミュニケーションは成り立つのか、という問題まで、様々な人間との関係が問われることか、発起人としての編集者の口から語られる。
 次は「猫カフェ」の現実。「文化」である。一度だけだが行ったことがあるので、私もその論じてあることはなるほどと肯ける。そこでは、「猫エイズ」に感染した猫とそうでない猫とが別室扱いになっていたし、保護猫を扱っていたことから譲渡運動も行っていた。その後、地域猫活動に参加したため、「猫カフェ」に行くことはなくなったが、ここでのレポートが「猫スタッフ」の姿を描写するところは、実に微笑ましかった。
 それから「猫島」のこと。その離島には人間は54人しかいないというが、猫は当然それよりも多い。交通の問題も踏まえながら、どうして人は「猫島」にわざわざ足を運ぶのか、そこも問うていた。そして、普通の猫に会いにくる人々が、その島が「限界集落」であることに気づくこともなく去ってゆくことでよいのかどうか、そこも問われるのだった。福岡にも、都市から近いところに「相島」という「猫島」がある。私も何度か脚を運んだ。観光客が来ること自体は悪いことではないが、果たしてほんとうにそれは島民にとりどうであるのか、一部には迷惑がっている空気も感じることができたので、ここで書かれていることには重みがあった。
 凄いのが「サザエさん」の中に見る猫の扱いである。テレビでは「タマ」が登場するが、もともと名前がなかったり、別の名だったりしている。長い連載であるから、その時代その時代の考え方を反映していると思しきことから、論者は、「サザエさん」の4コママンガをすべて見ている。四半世紀にわたり連載された、7000を超える作品である。頭が下がる。そこでどう扱われているのか、ものすごい調査を実施した。そこには、猫が「ペット」となるようになる世相が見えてきていたという。
 最後は、猫と人間とのコミュニケーションの問題である。「猫が喜んでいる」などと私たちは口にする。しかしそれは、私たちが勝手にそう見ているだけではないのか。言葉がない中で、どのような理解のし方がそこに成り立っているのか、考察しているのである。
 一人ひとりの論述はそこまでだが、巻末に「対談」が掲載されている。タイトルからして、「ただ、いるだけ」の価値が告げられていると思うが、これは猫と付き合う人には痛いほど分かるものである。猫と二人ベンチで並び、私は本を読み、猫はそこで寝そべっているだけ。時折撫でもするし、ふと毛繕いをすることもあるが、そこに二人でしばらくただそばにいる、というだけの付き合いを、私もよくしているのだ。あるいはこれを「まったり」とでも言えばよいであろうか。
 この「猫社会学」は、2021年頃から始められたと言う。その営みを「ファースト・ペンギン」になぞらえるくらいだから、確かに誰もまともにそのようなことを考えず、また認めもしなかったのであろう。先に挙げたような、歴史的・文学的・科学的・心理学的な角度から、猫のことを、また猫と人間のことを研究する人々はいるが、それらの研究との交流の可能性も示唆しながら、編者は最後に、猫社会学が「猫と人間の現在・過去・未来を総合的に考察し、世界をより良い方向に変えていく、公共的な営みの一つ」であることを期待しつつ、動き始めた運動であることの自覚を確かにしている。
 ここには、「地域猫」や「保護猫」についての視点は、決して十分なものではなかった。「猫カフェ」や「猫島」とはまたずいぶんと違う、だがボランティアによる地味な、それでいて365日雨が降ろうが槍が降ろうが、決して休むことのできない営みがある。寄付をしながら手出しをしながら、猫の衣食住のために毎日を費やし、各種の手術や火葬までも自分たちで賄うのが実情である。ここに、「猫社会学」が関わらないわけにはゆかないだろう。どうぞそこへの眼差しと調査、できれば実践も、このグループにお願いしたいところである。




Takapan
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