本

『猫』

ホンとの本

『猫』
クラフト・エヴィング商會
中公文庫
\552+
2009.11.

 猫にまつわる短編集。紹介はそれで十分かもしれない。余計なことをくどくど言わず、これで読みたいでしょ、といいのだ。
 でもそれでは2行で終わってしまう。以下は蛇足である。
 ここにその作品を取り上げた作家は、19世紀末から、せいぜい第一次世界大戦の頃に生まれた方々。有名どころでは、井伏鱒二、大佛次郎、谷崎潤一郎、壺井栄、寺田寅彦、柳田國男といった辺りを挙げれば雰囲気が伝わるだろうか。
 そもそも1955年に単行本として発行されたものに、クラフト・エヴィング商會のデザインで再編集したものが2004年に出ていたものを、さらに文庫化したものなのであるという。
 戦前戦後の風景が、それも人と猫との生活が描かれている。当時の人が猫をどのように見ていたか、それを伝えてくれる。猫かわいがりはしない。時に残酷な仕打ちをもする。しかし、さすが作家である、猫の様子を実によく描いている。猫を簡単に擬人化もせず、そこに確かに動物としての猫がいるという様子を的確に描写する。これは文学的技法としても教科書級の値打ちがあるかもしれない。
 しかし本書を手に取る人は大抵、猫が好きなのだろうと思う。少なくとも私はそうであった。
 猫は死体を見せない、という伝説と重ねながらの、猫の行方不明を描く「お軽はらきり」に始まるが、そこでついにお軽(これが当時の猫の名前のスタイルなのだ)が死ぬまでを描いている。現代のペットを扱うふうではない。だかそれこそが、動物と人間との生活であったのかもしれないとも教えられる。
 井伏鱒二とくれば、山椒魚を思い出すが、動物を描かせるとさすがに超一流である。蝮と猫との格闘のありさまは、惨さも忘れるほどに臨場感溢れるものであった。  私は猫に飼われている、というところから始まる「猫に仕えるの記」などを見ると、当時の猫の愛し方というもののひとつが分かるが、案外これは斬新なスタイル出会ったのかも知れない。いまの方が、これにぴったりという気さえする。
 谷崎潤一郎がなんと猫好きなのだろうということがひしひしと伝わる場面もあった。ペルシャ猫など異国系を主として6匹の猫が身の回りにいる。
 人の家にいた猫に銃を向け重傷を負わせられるなど、そんなことが日常の中であったのかとも思わされるし、寺田寅彦などは、猫の喉が鳴るシステムを深く問いかけるなど、科学を考える人らしい一面も見え隠れする。
 特に子猫が生まれる話や、子猫をもらってきて育てる話など、猫を通じて、子どものことを投影しているのかしらと思わせるようなものが多いように感じた。こうなると、猫と人との関係というよりも、猫を見るうちにその中に人生を感じるという方が近いようにも思われてくる。
 猫の島について記録したような柳田國男は、さすが民俗学者である。猫を素材としながらも、すっかり地域についての考察を進めている。もとよりこれは、猫を描くつもりではなかったのではないかとも思われる。
 最後に、新たにまとめたそのクラフト・エヴィング商會なる方々が、猫のイラストを踏まえて、「どういうわけが僕は、いつもいつも何かを忘れているような気がする」に始まる絵本調の短いつぶやきがある。短いが、ぐっと心に残る。猫である必然性はない内容だが、猫を通じて、猫好きであろう読者の心に深く呼びかける。「でもやっぱり覚えてない」に続く終わりのコマは、さすがにここでは明かさないでおく。  このシリーズで『犬』というのもあるそうだが、私はやっぱり『猫』だけでいい。




Takapan
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