本

『若者はなぜ怒らなくなったのか』

ホンとの本

『若者はなぜ怒らなくなったのか』
荷宮和子
中公新書ラクレ
\740
2003.7

 若い世代の動向や性質については関心がある。ということで、軽い気持ちで手に取った本だった。しかし、読み始めて驚いた。
 いいの? こんなに過激で?
 言葉遣いも、意識してかどうか知らないが乱暴である。いや、そんなことはどうでもいい。内容が、こんなにずばずば言っちゃっていいのだろうか、と私が引いてしまいそうになるくらい、凄かった。
 他人事ではない。私もまた、ずいぶん強い発言はしている。しかし、私の比ではない。 「決まっちゃったことはしょうがない」って言うな!
他者の立居振舞を「だって、しょうがないよね」ですませるな!
「変えたい」と思うことがある時には行動しろ!
「人を見下す輩」を愚弄してやろう!
 などなど、12項目が宣べられている。それだけではない。かなりのページを費やして、石原慎太郎をぐちょんぐちょんに弄んでいるのだ。
 こんなことをやっていいのであれば、私もやってみたかった、と思うほどである。
「団塊と団塊ジュニアの溝」というサブタイトルが本にはついている。そのあたりが読み解くヒントになるわけだが、土台、この手の本には、その本質だとか背景だとかを分析する必要はない。これは何も学問的な話ではないのだ。宝塚ファンであったり、アニメおたくであったりする著者が、歯に衣着せぬという言葉はどういうものかを実演してみせたものに違いないのだから、私たちはただ面白がって、そうだそうだ、と見守っていればいい。
 あまりにも、団塊というものをを画一的に宣べている。思いこみでそうしているがゆえの面白さというのもあるから、それはそれでいい。若い連中が、これを読んで、「元気」になってくれるのなら、私はこの本には意義があったと拍手を送るだろう。
 繰り返すが、著者の思いつきが正しいという保証はない。だが、その徹底した非戦論は、突っ張り通さなければならないし、非戦論潰しを免れる知恵は、大いに参考になる。私たちは、このような本音のお喋り、ある意味で2ちゃんねるの個人版みたいなものによって、叫びたい事柄のすべてと、それと共に、常識とされる大人のスタンスと、両方を見つめていくべきではないかと思わされてくる。ということは、この本にとっては非難なのではない。これは重要な、一つの役割なのだという肩入れであることに気づいてもらいたい。
 私が果たしてここに与することができるのかどうか、は、よく分からない。だが、間違いなく、このスタンスには拍手を送る。学問的分析でもなく、文明論をかますのでもなく、ただ言いたい放題にでも、言わなきゃいけないことを堂々と宣べていることに対して、尊敬の念を抱くのだ。
 著者は関西人だが、たしかに関西の文化は、そういう息吹をもっていたはずだ。
 今必要な視点ならびに行動の基準は、この関西的なあり方であるのかもしれない。
 とにかく楽しいので、本を読んで戴けば、私の下手なコメントなどいらないであろう。




Takapan
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