本

『人はなぜ「憎む」のか』

ホンとの本

『人はなぜ「憎む」のか』
ラッシュ・W・ドージアJr.
桃井緑美子
\2,200
2003.7

 憎しみの感情に支配された人間は、もう止めることができない。憎悪が残虐なことを正当化する。少なくとも自分自身の内部においては。テロも然り。ここではアメリカに起こったさまざまな例を基に、人間の残虐な殺人行為ばかり取り上げているような気がするかもしれないが、対象は、戦争やテロばかりではない。自己嫌悪による自殺の問題や、性差別、人種差別、インターネットが引き起こす問題点、職場のストレスの問題なども十分検討されている。実際、小さなレベルでは、私たちの生活の細々としたところで、この憎しみがはびこっている。それは、自分(たち)と敵とを峻別しているからである。
 それは、必ずしも大人たちの専売特許ではない。
 銃を乱射した子どもたちに共通していることがあるという。それは、自分が正しいと信じて疑わないということだ。いじめられたにせよ、何か不満を抱いたにせよ、それは誰かのせいであり、誰か他人の責任なのである。自分がこれをするには正当な理由がある、と正当化している点では、見事なほど共通しているという。それはそうだろう。そういう感情がなければ、とてもそういった残酷なことはできないだろう。だが、その指摘は無意味ではない。自分には正義があるという発想をいくらかでも反省させる試みがあれば、そういった悲劇をなくす方向へ動き始めることができるかもしれない。
 新聞編集者や弁護士を経て、社会的な話題に、心理学などを通したメスを入れていく著者は、ピュリツァー賞受賞の看板に偽りなく、読者をうならせるリポートを続けていく。
 2001年9月11日の、あの同時多発テロのために書かれたという言い方をしてはいないけれども、たぶんその事件を契機に、敵とか憎しみとかいった事柄への洞察を深めていったことは否めまい。戦争をなくしたい、と誰もが理想を掲げるにも拘わらず、なぜそれが実現できないのか。その根っこを探る分析の試みは、案外これまでなかったのではないか。
 この分厚い本は、さまざまな例証を記すとともに、憎しみへ走る心理の特徴を7つ挙げたり、その憎しみを根絶するための10の戦略を提案したりする。きわめて実際的な対策の書でもあるのだ。敵と戦うようなスポーツが実はこの行き詰まりを打開する秘密をもつのではないか、というような効用も指摘されているのが面白い。暴力的な意味での敵を作らない「われらと、われら」の視点をもつようになれるというのだ。そこから、共感や謝罪の心へとつながる視点を提供することにより、著者は、未来に確実に希望を見いだしている。それは、子どもたちの存在でもある。未来は、子どもたちが作る。今の大人たちが、子どもたちに何を教えるかによって、残虐行為はなくしていけるはずだと考えている。古い世代の憎しみを教えることをやめなければならない。そうして、子どもたちに責任をかぶせていくのでなく、大人たちが自らの責任として、それを実行していくのでなければならない。
 憎悪と暴力を生むメカニズムは、たしかに人間の精神の中に遺伝的に存するのではあるが、それが現れるかどうかは、環境によって活発化していく。著者はそう宣言する。マレーシアの平和な民族セマイ族の例が挙げられる。1950年代の共産党の武装蜂起に際し、イギリスに駆り出されたセマイ族の部隊は、それまでの温和な性格が、血に飢えた狼のように、敵を殺しまくったという。あまりにも情報が少なかった彼らは、与えられた環境の中で、本能的なものが現れてしまったのだ。そして村に戻れば、また温和な人間に戻ったという。メディアの発達した世界では、彼らと同じ状況が生まれることは想像しにくいが、私たちは、次の世代に、間違いなく「平和」を伝えていく義務を負っていることはまちがいない。




Takapan
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