本

『夏の坂道』

ホンとの本

『夏の坂道』
村木嵐
潮出版社
\1900+
2019.3.

 新刊紹介に文庫があって、よく見ると南原繁の生涯を描いたというので、読みたくなった。すでに単行本が出ていることが分かり、図書館にちゃんとあったのはラッキーだった。というわけで、書店は販売をひとつ損したことになるが、その分宣伝させて戴こうかと思う。
 南原繁といえば、戦後すぐの東大総長として名高いと思われるが、無教会のキリスト者として信念に基づいて戦後の東大を建て直したというイメージが強い。少なくとも私の中でのおぼろげな印象派そうだった。
 その南原という人間像を、幼いころの母親の背中の記憶でそっと始める語り。そのシーンは短かったが、これはきっと最後に再びこのモチーフが生かされると思っていた。案の定そうなるのだが、以下はお読みになってのお楽しみとしよう。
 若い頃に出会った、内村鑑三や新渡戸稲造という名前も溜息が出るほど偉大だが、三谷隆正との親友ぶりもたっぷりと描かれていて、頼もしい。矢内原忠雄の名前もそこに見える。
 戦後、吉田茂首相との講和を巡る論争も本書によく描かれているが、南原の確信に満ちた考えと、しかし穏やかな人格とのバランスから、その考えでよかったのではないかと思わせるものがあった。それは、政治的にどうというよりも、南原の確信である。そもそも戦後のことを考え、終戦へのシナリオを考えていたグループの一人である。
 戦後、南原は天皇の退位ができるようにという声を挙げた。おそらく後の昭和天皇が自ら退位すべきだという含みをもってのことだったと思うが、これは反対に遭い、実現しなかった。しかし、その南原がもし21世紀の令和になる過程を知ったら、うんうんと頷くことになったかもしれない。
 しばしばカントが登場する。カントの永遠平和の考えが南原の心の中にずっとあったというふうに描いている。全体的に理想を抱え、理想を信じ、それへ向けて置かれた情況でどうすればよいか考えるというふうでもある。それは得策ではないとか、権謀術数からして間抜けだとか言われそうである。けれども、時代はその理想への確信を決して裏切らないものを中枢としながら動いていく。東大で騒ぎを起こして南原自身が退学を命じた学生が、後に慕って南原のもとを訪れる場面からもそれが窺える。
 それは同時に、なんだか政府に逆らってさえいれば正しいとか、天皇制を廃止すればキリスト教的に正しい国になるとか、単純な正義にいきり立っている人々を強く批判するものともなる。南原は決して、そんな一見カッコよさげに見える考え方はとらない。本書は決してキリスト教を宣伝するものではないが、現実を鋭く見抜き、対処し、だが中心にある理想の揺るがない、芯の強いキリスト者のスピリットなるものを目の当たりにし、襟を正されるような思いに浸される。
 内村鑑三に司式をしてもらった最初の妻を病で亡くし、再婚した方との出会いや子どもたちとの強い結びつきなど、家庭のことも詳しく描かれており、著者はずいぶん調べたことだろうと思う。司馬遼太郎の弟子として、歴史を語る責任と技能をよく知るであろう著者をその辺りも信頼したい。それでいて、ただ事実の羅列ではなく、読者に一筋のものを伝える心をもっている。好い読後感が得られた。感謝したい。
 それにしても、出版社は潮出版社である。創価学会の出版社である。創価学会の「そ」の字も出さず、キリスト者の生き方を堂々と伝える本書を、そもそも雑誌「潮」に連載し、単行本にまで仕上げたものだと、そこに正直少し驚いている。




Takapan
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