『君が夏を走らせる』
瀬尾まいこ/新潮文庫/\670+/2020.7.
黄色い表紙に、素朴な女の子のイラスト。本書を読めば、それが鈴香ちゃんだということが分かる。
どうしてこの本がいまここにあるのか。図書館で借りたからである。どうして借りることになったのか。あまりにすべてを説明することは控えるが、息子が育児をしており、どうやらこの本を喜んでいるらしいことが分かったのである。
私は、子どもたちを育てることに、ある程度加担してきた。その後世間で言われるようになった「イクメン」の先駆者だったと思っている。仕事が午後、あるいは夕方からであったため、朝から午後にかけて、子育てを担当していた。公園で遊ばせるのも私の役目だし、同様に公園で子どもを連れてきていたのは、すべて母親だった。
食事もオムツ換えも、私は普通にやっていた。子どもたちが少々大きくなっても、ずいぶんと一緒に遊ぶ機会を設けた。野球でもテニスでも、とにかくよく遊んだ。京都では自動車のない生活だったので、買物は二人を両手に抱えて移動した。電車を中心にして、大阪やら神戸やらも睨んだ形で、公園などにも連れて行った。
その長男が、父親になった。男の子は、一歳になった。その段階でこの本を知ったらしい。
私は、京都から福岡の私の父親に、ビデオ撮影をしたものを編集して、毎月送っていた。それがいまの時代には、瞬時にクラウドを使って写真や動画が送られてくる。だが、それを送ってくるということ自体、私がしていたことと同類のことである。そして、よくぞそこまでというほどに、子育てをしている。恥ずかしくなるくらい、私は自分自身を見るように感じるのである。
その彼が読んだらしいこの本は、子育てをする話だった。ただ、設定が面白い。高校生ではあるのだが、学校にまともに登校していないような大田くんのもとに、突如として子育ての話が舞い込む。親しい先輩が誘ったアルバイトというのが、鈴香ちゃんを預かるというものだったのだ。
二人目の子が産まれることになるのだが、奥さんが入院生活を強いられるのだという。長女の鈴香ちゃんは、一歳十ヶ月。しかしこの夫婦、それぞれの親との関係がひどくまずいので、頼む相手がいない。7月から8月にかけて、夏休みの大田くんに、それを頼むこととなったようなのである。
無謀な話である。何の経験も知識もない、一応は高校生であるが、男子である。
こうして、大田くんの、子守りの奮闘記が始まるというわけである。
本作品の大部分は、この鈴香ちゃんとの交わりの描写で尽くされている。子どもとの交流を通じて、大田くんもそれなりに成長してゆく。ああして、こうして、と細々とした描写も多く、子どもの反応も、それに対する高校生の大田くんの戸惑いや開き直りなども、よく描かれている。事故もなく、困難やトラブルもないままにこのアルバイトは満喫されるのだが、その点はややできすぎであるような気もする。病気にもならないし、怪我もしない。衣食についての問題も、これといって起こらない。その意味では山場のない物語である。黙々と、高校生と1歳児との付き合いが続いてゆく。
物語性を期待する読者には、退屈であるかもしれない。しかし、この子育てそのものを楽しむようなタイプの人にとっては、このありふれた日常が心地よいかもしれない。「あるある」などと思いながら、二人の姿を楽しんで見ていることができる。危険もないので、安心して見ていられるというわけである。
この大田くん、著者の別の作品に登場しているらしい。あさのあつこさんが最後に寄せている文章によると、『あと少し、もう少し』で初めて大田くんに出逢っている。中学校駅伝大会の選手だったそうだ。この大田くんが主役となって、本作で活躍する。それで、公園で、中学の陸上部と一緒に走るシーンが、終わりのほうで作られていたのだ。ただ、そのシーンも、必然性があるようには感じられず、どうして「君が夏を走らせる」のか、その走りためだとすれば、あまりに取って付けたような気がするものだった。
この「君」とは誰なのか。「走らせる」とはどういうことなのか。大田くんの目線から見ているのであれば、「君」は間違いなく鈴香ちゃんである。もしそうなると、鈴香ちゃんによって、大田くんのこの夏を、つまりは大田くんを、走らせていることになる。だが、そんな平板な理解でよいのだろうか。裏がある、という意味ではないが、あまりに浅い考えで、分かったような気にはならないほうがよいだろうと思う。
ただ、青春の爽やかな小説ではある。最後に、少々ベタな形で、前向きな歩みを始めるということで結ぶのは、中学生あたりへの国語の教材に適していると言いたげなのだろうか、と勘ぐりたくなるほどであった。だが、気がつけば、この大田くんという少年に、けっこう身を寄せている自分がここにいる。次はどんな物語で、彼に会えるのだろうか。そんな楽しみが、いつの間にか生まれている。物語性というよりも、この人物の魅力というものが、全体に満ちていたのであろう。
ちまちまとした、1歳児とのふれあいも、微笑ましいと思えば、それで幸せなのである。はらはらしない物語も、なかなかいいものだ。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド