本

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

ホンとの本

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』
ポール・オースター編
柴田元幸他訳
新潮社
\2860
2005.10.

 きっかけは、小川洋子さんの『物語の役割』だった。アメリカの作家、ポール・オースターがネタに困ったことがあるという。ラジオでストーリーを披露してほしいというが、それは耐えられない。そこでストーリーをリスナーに募った。それで集まるわ集まるわ、実話という制約にも拘わらず、人生の数だけ寄せられるような勢いだったという。
 それを本にしたのが、これである。
 放送で紹介できるほどの短い作品たちである。中には少しばかりこみ入った長いものもあるが、やはりショートショートと呼んでもよいくらいではあるだろう。実に短いのもある。本書は、それをある程度のテーマ毎にまとめられている。読む方も、猫の目のように変わる思いから少しばかり守られる。
 動物・物・家族・スラップスティック(体を張ったコメディ)・見知らぬ隣人・戦争・愛・死・夢・瞑想、と分けられた中で、ずいぶんな数のお話に触れることができる。それも、一般市民が経験した話である。
 ひとの話というのは面白い。とっておきの経験というものもいろいろあって、居酒屋で話せば楽しくなるに違いないものだろうが、それが怒濤のように押し寄せる。しばらくは退屈しない。私も、一日10頁かそこらをちびちびと味わうことにした。一か月余りで読み終わったので、たぶん15頁平均くらいになるだろうか。
 中には不思議な話もある。それが連続しているので、背筋が凍りそうになることもあった。アメリカ人も、けっこう不思議体験というのをしているらしいし、超能力的なものに関心があるようだ。予知能力や、虫の知らせというような話がいくつも並んでいるところがあった。
 家族のほっこりとした話もあるし、ハチャメチャな奴との付き合いの話、お人好しなのか博愛なのか、そんな話もあるし、人情話もある。アメリカ人の日常を切り取った情景がそこに溢れているから、気取らない普通の生活を垣間見るためにも、なかなか魅力的な本だとは言えないだろうか。
 小川洋子さんは、数学者の物語を書いてとくに有名になったのではないかと思うが、そのモチーフになったであろうと思われる「数学的媚薬」という作品も見つけた。かの小説の中の大切なシーンにあった「親和数」が、男性カップルのあたたかな心を飾るものとして描かれていて、ちょっとジーンと来た。
 もちろんこうした一つひとつの物語を愉しむ、それでよいと思うのだが、「編者まえがき」がまた味わいがある。上に紹介した背景はもとより、いろいろな人の人生と出会う編者からこぼれた言葉が多々綴られている。
 私たちは、完璧ではない。だが、これが現実なのだ。
 無期懲役者から送られてきた手紙の最後にあった、このような言葉を以て、ポール・オースターは本書の根本原理であると言った。誰もが、情熱的な人生をもっているのだと驚くと共に、そうしたものを引き出す機会を自分が担ったことの意味も考えている。そして、送られてきた四千のストーリーの中の、179だけをここに収めたと言い、しかもこれは文学とは言えないけれども、むしろ文学とは違う何かなのだ、と興奮している。
 2000年に綴られたこの「まえがき」は、かつて見たアメリカ映画の楽屋裏を見るような思いがした。訳者は2005年に「あとがき」を書いている。アメリカ自身が、アメリカを語っている。これらは実体験の物語なのであって、ハリウッドの創作ではない。つくりものからは分からない、アメリカの事実というようなものを、私たちはここから感じることができるであろう。
 一度読み通したからには、今度はぱらぱらと拾い読みのようなことをしてもよいかと思っている。さすがに全部覚えているとは言えないからである。新鮮な出会いを、アメリカと経験できるかもしれない。




Takapan
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