本

『菜の花の沖縄日記』

ホンとの本

『菜の花の沖縄日記』
坂本菜の花
ヘウレーカ
\1600+
2019.8.

 1999年生まれの二十歳の女の子(失礼)が著したというのにも驚かされるが、「菜の花」というのが本名であることに、さらに驚かされる。それどころか、どうして「沖縄日記」なのか、がまた不思議である。中学を卒業すると故郷の石川県を離れ、ひとりで沖縄で暮らすようになったというのです。そして、無認可の学校・珊瑚舎スコーレに通うのである。
 その個人的な背景を紹介しようとは思わず、いわば謎めいたままに、ただ沖縄での暮らしの中で出会った沖縄の人々、その社会の問題などを短いエッセイのように書き綴る。これは、北陸中日新聞に、およそ月に一度という頻度で掲載されてきたものなのである。
 珊瑚舎スコーレは、特定非営利活動法人として認められているフリースクールである。その紹介をするのがここでの目的ではないので、ここではもう触れないが、著者も何か特別な問題意識の中で、わざわざここを選んだのだろうと思われる。また、沖縄というところにこれまた特別な関心をもっていたというのも事実のようだ。
 入学してすぐの時からこの連載は始まっている。文章にどのくらい校閲が入っているか分からないが、素朴で、しかし的確な表現を伴い、非常に読みやすい文章である。こうした方面で才能を伸ばすことができるのではないかと思うが、沖縄の土地に立って初めて見える、そして知り、感じることのできるものを、驚きと落ち着いた思索のもとに綴っていく。人との出会いが多く描かれることも、読みやすさの一因かもしれない。考えることが個人的なものでなく、人と出会って分かち合ったものであることが伝わってくる。
 オスプレイの反対運動をしている人々とのつながり。戦争体験者の話を聞くことで、いっそう改めて思える、沖縄の子どもたちへの戦争の語り伝えの大切さ。畑作業やのんびりと風に吹かれて過ごす日常の描写もある。基地の問題は、少女の心に強く迫る。戦争はよくないけれど、基地の関係で暮らす人々との出会いに思わされることもある。政治運動にも触れながら、ただひとつの叫びを求めているのではなく、しかしその中で、沖縄戦のことを学ぶ中で、それを生き抜いてきた人への尊敬の思いを育まれていく。
 石川に戻ったときにまた見える、沖縄の、あるいは日本の風景。こうした眼差しを経験するからこそ、福島の人々の苦しみに気づいていなかった自分を見出す。こうした驚きの体験を、センセーショナルでなく、淡々と綴っていくのが魅力敵である。
 沖縄では、陰惨な事件も起こり、その度に反対運動が盛り上がる様子が私たちのところへと報道される。しかし、顔をつきあわせて暮らす現地の人々は、単に人を責めはしないのだという。人は人、許しを与えることが、人との付き合いなのだというポリシーで生活している、それが沖縄の人々なんだと理解していく様子を辿ると、私たちヤマトの者が、恥ずかしい思いにもなるし、感動もまた覚える。それは、慰霊の日に、ありったけの残酷な出来事をひたすら綴りながらも、自分はヤマトンチュであり加害者側なのだという現実を噛みしめるところでピークを迎える。これらを、熱っぽく語るのでなく、淡々と書いていくので、なおさら私たち読者に迫るものがある、と言うと的を外しているだろうか。私はそのように感じてならない。つまり、この文章の、どこかさらりとしたものが、よけいに切実に、大切なことを教えてくれるような気がしてならないのだ。
 珊瑚舎スコーレをやがて離れる日がくる。菜の花さんは成人して、いまは実家の宿を手伝っているという。選挙も経験し、社会への見方がおとなびていくのが分かる。より広い視野で社会を見る眼差しが育っていき、しかし強い意志である事柄を考えているのが伝わってくる。それを独り熱心に叫ぼうとするのではなく、多くの人の心を抱きしめるように大切にしながら、しかもそのこと自体がまた自分を盛り上げるようなことのために用いられておらず、読者に適切に届けられるように、短いコラムの欄を最大限に活用する術を知っている。私はそのように感じた。
 最後に、珊瑚舎スコーレの関係者たちとの座談会が掲載されている。珊瑚舎スコーレの紹介のような意味でもあるが、学びの場の必要性を強く訴えて、この本を閉じる。この珊瑚舎スコーレにいるのは子どもたちばかりではない。むしろお年寄りが多い、平均年齢が後期高齢者世代であったりするのだ。しかし、生き生きと学ぶ人々がそこにいる。こうした小さな学校をつくりたい、と校長の立場を擲ってこれを開いた星野人史さんは、なんと魅力的な人なんだろう。それだからこそ、菜の花さんのような貴重な人材を招き呼ぶ力があったのではないかとも思う。
 記事の一つひとつに、文章に出てきた言葉の意味が説明されている。沖縄のことを知る機会にもなる。それは、情報として私たちに伝わってくるものばかりでなく、生活の空気のように、そこに実際に住んでみなければ接することのない習俗や考え方、人の心というのもにまで及ぶ注釈である。こうした点にまで、心がこめられ、心意気が伝わってくるようで、この小さな本のもつ輝きは、決して小さなものではないと確信するものである。




Takapan
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