『「なんかよかった」では終わらない 絵画の観方』
井上響著・秋山聰監修
KADOKAWA
\2000+
2025.3.
絵画の鑑賞の仕方には興味がある。自分の感性だけで、これは好きだな、と見るのもいいと思うが、知識があって初めて気づくところもある。Eテレの日曜美術館も、殆ど欠かさず見ているが、いろいろ教えられていい。
本書のコンセプトも、冠のように、「なんかよかった」で終わらない、という言葉が付いているから、そうした気づきを与えようとしているから、面白そうだと思ったのだ。
切り口が通常の鑑賞ものとは違うのは分かった。まるで練習問題のように、「この絵は何なのでしょう」と寄せてくる。きれいなカラー写真は、絵の再現度も高いから、それだけ見るのも味わいがあるが、その説明がかなりあるのだ。絵により多少長さは異なるが、およそ8頁ずつくらい、ひとつの話題が宛てられている。しかも普通なら、画家はこういう生涯を送った人で、こういうふうに描いていた、というような叙述やエピソードで紹介が終わりそうなものだが、それも全く違う。
それもそのはず、著者は「美術史ソムリエ」というように名乗り、SNSで美術について紹介をしている人気の人なのだという。どうりで話しぶりもうまいはずだ。これに、東京大学教授が監修で入っているから、本書に嘘の記事がまかり通っているとは思えない。この監修は、信頼性を増すのに役立っていると言えよう。
さて、「はじめに」でいきなり出された練習問題は、説明のタイトルなしだったが、私はもちろん知っている。ネタバレになるかもしれないから正解は伏せるが、聖書の中の有名な箇所である。その箇所の説明のために、このレンブラントの絵が引用されることも多い。つまり聖書を知る人にはおなじみの絵なのである。著者は、「もし仮にこの絵の背景のストーリーを知り、それを元にこの絵を鑑賞すればその感想はきっと大きく変わります」と太字で告げる。そうして、語りかけるように、聖書のその物語を説明するのだ。軽快な語り口だし、きちんと説明してくれている。
そして、同じ場面について描いた別の画家の絵も紹介する。これが本書の特長である。今度はカラヴァッジョである。すると、趣が異なる。ではその違いをどのように比べて読むとよいのだろうか。そしてまた、レンブラントに戻るようにも指示し、「ずっと深く鑑賞できるようになったのではないでしょうか」と問いかける。こうして本書では、「物語」と「歴史」についての知識を紹介してゆく、と知らせるのであった。
まず前半は「物語」。今度は、扉に絵のタイトルが掲げてあるので、クイズ形式ではない。ここに並んでくるのは、ほぼ聖書の題材と、ギリシア・ローマ神話だと言ってよいだろうと思う。後者については私は詳しくはないが、哲学や西欧史で必要最低限なものは心得ているし、そもそもこうした絵画に関心があったので、だいたいのところは把握していた。つまり幸運なことなのだが、絵のタイトルを見ただけで、それが何のことなのか、はおよそ分かるのだった。だから、以下の解説が、ふむふむと楽しく読むことができた。神話の方は、そういう話だったのか、と教えられることもあったが、聖書については十分知っていると言えた。
しかし、物語を知っているということと、その「絵」の観方が分かると言うこととは、別問題である。よく見ると絵の中に何々が描かれているが、それは何々を現している、というような説明は、実に興味深い。ああ、そこを見るとよいのだ、と絵の観方を教わるのは心地よかった。
それぞれのテーマについては、最後に「主題」「主題を見分けるポイント」そして「鑑賞のポイント」が簡潔にまとめて掲げられている。これはいい。様子に一言で言うと、ということである。
後半、と言っても最後の珀頁余りではあるが、今度は「歴史」が紹介されている。聖書の歴史のことではない。絵画の歴史である。私は、これはユニークな企画だと驚いた。そして、絵画の観方が私のような者にも伝わった気がした。
最初はジョット。いまの私たちからすれば、これのどこがいいのか、と言いたくなりそうな絵でもある。だが、ジョットのいた時代の絵画の常識を持ち出されると、ジョットが実に画期的な画家であったことが分かるのだ。こうして、その時代に、絵に何が求められていたのか、またその画家が如何にオリジナリティに溢れていたのか、を共に体験してゆこうとするのだ。ジョットの次はマザッチョ、その次はヤン・ファン・エイク。これは何の絵だか、ピンときた人も多いだろう。私などは、Eテレの「びじゅチューン!」にどれだけ助けられているか知れない。この絵も紹介されたことがある。こう並べ始めると、何がどう発見されていったか、ということが明確になるのだ。次のダ・ヴィンチになると、格段にレベルが上がるが、何がどう変わったのか、それが見えてくるのだ。また、そこには画材の発展というものもある。画材が変われば、技法も違ってくるわけだ。
その映画の意義そのものはここでは明かさないが、並べられている画家の名前だけを列挙すると、カラヴァッジョ、マネ、モネ、セザンヌ、ブラック、ゴッホ、マティス、カンディンスキー、そしてデュシャンで幕を閉じる。その一つひとつの扉を開けてゆくにあたり、西洋人の、美や絵に対する考え方や視野がどう変わっていったのか、それが示される。すると私も、ああだから、と思い当たることが浮かんでくるのだ。
もちろん、他の画家も登場させたいと考える読者もいることだろうと思う。だが、誰も彼も引き出して著者の知識を披露しようとするのが本書の目的ではない。読者が、「絵ってそのような観点で観たらよいのだ」と目が開かれるだけでよいのだ。そうすると、ここにないルノワールでもピカソでも、読者自らが「鑑賞」する眼差しを育むことができることだろう。
評しには「美術館が面白くなる大人の教養」とあるが、本当にこれは、思っていた以上に面白かった。特に後半の「歴史」は、目が覚めるような思いがした。美術に詳しい人にとっては常識なのだろうが、読者として、一つひとつ新たな部屋へと導かれてゆくような経験をしたように感じた。
案外、聖書を直に読むのがしんどいクリスチャンにとっても、前半の「物語」を見て、聖書の物語を知るために、本書が役立つかもしれない。いや、それは失礼な言い方になっただろうか。

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