『汝復讐するなかれ』
吉田敬太郎
キリスト新聞社
\1000
2022.11.
図書館で見かけて、聖書の言葉だと中を開いてみたら、北九州の教会の牧師であるということが分かった。編者も、若松バプテスト教会という名前になっている。これは読まねば、と思った。
1971年に第1版、1984年に第2版、2011年に第3版と発行され、2022年に第4版が出ている。これは、カトリックのシスターである鈴木秀子氏の薦めがあり、発行が決まったということで、第4版には、その経緯と鈴木氏の推薦の辞が冒頭に付けられている。
価格が記されていない。ネット検索にかけてみると、地元の西日本新聞の記事がヒットした。それによると、今回1500部を刊行し、教会に希望すれば千円で頒布しているとのこと。しかし通常の販売方法とは異なる形で提供しているために、価格設定をしていないのではないかと思われる。
本の経緯ばかり記し、内容に触れないのはよろしくない。若松バプテスト教会発行だと挙げたが、戦後再出発した若松バプテスト教会の最初の牧師に就任したのが、吉田敬太郎氏であった。教会は、バプテスト連盟の中でも、最古参に近いような歴史をもつと思われるが、戦争に伴い解散させられていたのである。
吉田敬太郎氏は、火野葦平の小説「花と龍」にも登場する、若松のヤクザの親分である吉田磯吉の息子である。本書でも父親のことは度々触れられるが、人生を決めるにも、実に的確なアドバイスをその都度くれたという。人と世の中を見る目に優れていたのだろう。父親の教えは、敬太郎氏をしっかりと支え続けてきた。その道の人は、暴力的な面があるかもしれないが、筋の通った考え方をするものである。五木寛之の「青春の門」も福岡のそういう舞台を描いていたが、耳を傾けるものが含まれることはあるだろうと思う。事実この父親は、前半生を任侠の世界に生きたが、後半生では、国会議員まで務めている。
しかし、政治の世界を知ったが故にこそ言えることもある。政治家にはなるな。学びに長けた敬太郎氏には、父親は先を読んでそう戒めていたという。だが、そうした素質が確かにあったのだろう。
大学から三菱鉱業へと堅実に働いていたが、周囲からの信頼が厚く、福岡県議会議員に立候補することになり、当選して務めることになる。よい仕事ができ、よい家庭ももてた。しかし、その後父親の予見した如く、時代の変化と共に、彼の運命も変えられてゆく。
太平洋戦争が始まったのだ。しかし敬太郎氏は、その戦争の愚かさを見抜いていた。欧米を視察したこともあり、日本が戦っても負けることは明らかだと見なしていたのである。すでに衆議院議員にも進んで、発言力ももっていたが、政府の批判を始めたことから、官憲に目をつけられる。
だが、国会議員は法的な地位があり、庶民の如く権力で脅したり簡単に取り押さえたりするようなわけにはゆかない。それでも、日本の行く末に対して目を開くべく言動を重ねていた吉田議員は、ついに捕らえられる。
その理屈の付け方がいやらしいもので、吉田氏はそれを「獄中記」という形で書き留めてゆく。そしてそれが本書の原稿となったのである
すべてをここで明かすことはしないが、要するに結局逮捕され、しかも信念を曲げない吉田氏は、牢獄の中でも条件の厳しい情況に置かれることとなる。
このとき、仏典と聖書とを手にすることは許された。浄土真宗の門徒であった吉田氏は、当然仏典に馴染むはずであったが、聖書を開いたとき、その言葉に目が開かれる。というより、ズキリと差し込む痛みを覚えたのだ。それがタイトルにあった「汝復讐するなかれ」である。自分を痛めつける官憲への復讐心が沸々と滾っていた吉田氏は、この神の言葉を信じることで、その復讐心がキリストの愛に塗りかえられてゆく。
すると、不思議なことも起こり始める。飢餓状態にさせられた中で、食べるものが役人の手により届けられたる。以前吉田氏に世話になった人物だったのだ。また仲間の農作業担当の囚人たちのが、窓からトマトが放り込んだこともあったという。これは「天使」だ、と思ったという。
終戦の年、敵視する輩の妨害で少々遅れたが、吉田氏は出獄する。そして正式にキリスト教の信徒となる。そして、実際自分を殺しにかかったような軍部の人たちに対して、復讐を考えることはなかった。そして、その幾人かが、戦後犯罪に走ったり、惨めな情況に陥った知らせを聞いて、神の「復讐するは我にあり」を見たのだ、と証ししている。
先にも述べたように教会を再建し、牧師に就任するが、2年後、またもや周囲の熱い要請があり、若松市長への立候補が持ち上がる。妻の鋭い眼差しがそれを禁ずるも、神に祈りまた新たな光を与えられると、妻は今度は立候補へと背中を押す。
市長として、まず地域の長年の悲願であった、若戸大橋の建設のための画策に労苦することになる。また、その直後、北九州地区の五つの市の合併という、前代未聞の難題を実現する。
驚くことに、こうした仕事を、教会の牧師の立場を保ちつつ、こなしていったのだ。確かに信徒の家の訪問など、牧師が通常携わるであろう幾つかのことはできなかったが、礼拝説教は淡々と続けていったというのだ。なんというエネルギッシュな人なのだろう。
こうした働きは、表彰に値するということで公的にも尊敬される存在となった。
関係のあった西南女学院の院長なども辞を添えており、あたたかな人々の眼差しが送られた本。138頁の中に、言葉に尽くせないほどの辛い体験と苦しみ、それにも増して助ける神の奇蹟などが、やや不器用な表現ながらも、血の滲むような思いを含めて綴られている。
こうした方を知らなかったというのは、私の狭い見聞の恥を晒すようではあるが、いまこうして本の中でお出会いできて、光栄である。本書には、キリスト教の教義というものは、全く書かれていないし、本人が薦めている様子も見られない。辞を添えた人の中には、そうした願いを述べた人もいるから、これもまた福音伝道のひとつの道として用いられたいという気持ちは確かにあるのだろう。だが、私は思う。これは神の真実のひとつの証しではないだろうか、と。神ご自身が、ここに姿を見せてくださっているのではないか、と。
私も、ここで出会うことができたものだと思っている。

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