本

『何かが起ころうとしている』

ホンとの本

『何かが起ころうとしている』
T.G.ロング
平野克己:笠原信一訳
教文館
\1500+
2010.11.

 アドヴェント・クリスマス説教集。そのように副題が付いている。そうか、マタイやルカのクリスマス物語からの説教だな、と思われるかもしれない。しかしこの聞きごたえのある7つの説教のうち、そこから引かれたのは3つであり、最初の2つはマルコである。決してありきたりではない。マタイを除いた3つの福音書がメインに取り上げられているが、その聖書箇所を解くというよりも、そこからいまここにいる私たちに語りかけてくるか細い声を聞き取ろうとするかのような試みがここにあるように感じられてならない。
 『説教塾ブックレット4・いまアメリカの説教学は』の中に紹介されていた、ロングの本のうち邦訳されている数少ないもののひとつである。ロングの本はいまやアメリカの説教学の大きな潮流のひとつとなっているともいう。臨場感漂う迫りの中で聖書の言葉がはたらいてくる。その著者の味わい深い説教がここに並べられているというわけである。
 聖書の物語は、自分とは関係のない客観的なものとして読むこともできるが、それは実に味気ないものとなる。そのときには命の流れが途絶えてしまう。しかし礼拝説教に対して、私たちはいつの間にか、そのように無感覚になっているのではないかという虞を抱くことがないだろうか。すべてのメッセージは自分のため、自分に語りかけるものであり、自分の有様を突きつけられ、そこが神と出会う出来事になる、というものであることが当然である、との理解をしていたはずなのに、「いいお話でした」などで終わることがなかっただろうか、と自問させられる。
 その意味で、ここにある説教は、私を主イエスの前に引きずり出させてくれる。身近なことを契機として、そこが神の前の場であるという風景に変じていく体験を、これらの説教はもたらすことであろう。いつ自分がそのようなことをしたか、しなかったか、と審きのときに問う話が福音書にあるが、主は確かにここにおられるという経験を、これらの説教は与えてくれると思うのである。
 説教を通して、私は新たな自分の姿に出会う。自分がどこに立っているかを強く意識するようになる。そばにいる人が、今までと違った意味をもつ存在として立ち現れてくる。少しの視点のずれでしかないようでありながら、世界が違って見えてくる。神を待つという、よく口にしていた言葉の意味が自分を変えていくのを覚える。そして、いまここにあるもの、目の前にいる人を、どれほど大切にしなければならないかを痛感する。それは、神の言葉はひとを生かすものであること、ひとが生き生きと輝くようになることを聖書は求めていること、そんな私の聖書観を現実のものにするように、次々とはたらいてくる。
 だから、書名の「何かが起ころうとしている」というのは、この説教を通じて、読者の魂に何かが起こるのだということを踏まえて付けられているのだと思うし、少なくとも私はそれを味わわせて戴いた。それは、胸が締めつけられるような思いに襲われ、読むだけで涙するというものであった。だから、電車の中で読まなくて本当によかったと思うのであった。




Takapan
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