本

『ななみの海』

ホンとの本

『ななみの海』
朝比奈あすか
双葉社
\1600+
2022.2.

 読みたかった。2023年度の中学入試で非常に注目されたという報道に、私の目が光った。小学生に国語を教えることもある。そうでなくても、それほどに一気に、入試制度の中にある中学教師が、あるい塾業界が、ひとつの本に注目するというのは、只事ではない。そこに、何かがあるはずだ。
 子どもが確実に読める。しかも、心の動きが比較的はっきりしている。模範解答を決めても、異論が出ないことが大切だし、出題するレベルというものも、世間の目が厳しい。そうした労苦を乗り越える条件を有する作品が、しかも新しい物語として、ここにある、という目印を見た気持ちになったのである。
 物語であるから、その粗筋をここに記すわけにはゆかない。最初の1行は「いつもどこからか潮の香りがする町に住みながら、ななみは海が好きではなかった。」というものだったから、タイトルの『ななみの海』を予感させるには十分だ。しかし、実のところこの後、読者が不安になるくらい、「海」が話の軸に入ってこない。潮の香りがもう少し漂うべきではないかと思ったが、どうにも違う。もちろん、読者を不安にさせたままにはさせない。最後に、海が舞台になる。一度に、潮の香りに包まれたところで、心が打ち明けられてゆく。心が開かれ、それまで不安定だったそれぞれの人物の心が、大団円を迎える如く、自身の未来へと方向付けられる。非常に安心できる形で、落着きどころを得るのである。
 だから、どうぞ安心して読み進んで戴きたい。
 ななみは、「ななみん」と友だちに呼ばれている。女子高校生である。ダンス部に所属し、特に仲良しの仲間が3人いる。3人は、初めの頁で登場する。読者も構える。この3人の名前はしっかり押さえておこう、と思うはずだ。3人それぞれの性格も、分かりやすく紹介されている。その読み取りは、確かに今後最後まで役に立つ。「みえきょん」と「瀬奈」、そして「ズミ」。まともに本名も出てこないような3人だが、ダンス部での出し物のために、よくあるアニメの物語のように、悩みにぶつかり、乗り越えてゆく。楽しそうだ。
 だが、3人はそれぞれに、問題を抱えている。ここでは、ななみだけを取り上げる。これは表向きにも紹介されているから、明らかにしてよいかと思うが、ななみは両親がいない。預けられていた祖母ももういないため、児童養護施設で暮らしている。このことは、友だちにもなかなか言えない。遊ぶつきあいも、門限があるなど、一定の規則の下に不自由がある。さて、友だちはこれを知っているのかいないのか。物語は、ななみの視線で展開するので、読者はななみと一緒にドキドキし、また思い悩むことになる。
 祖母との約束で、医師になりたいと考えている。成績も悪くない。だが、施設で共に暮らすのは、同世代以下の子どもたち。たくさん登場するが、読者はきっとすぐにそれぞれの子について迷わず知ることになるだろう。皆、独特の問題を抱えているからだ。
 18歳になると、施設を出なければならない。では具体的にどのような暮らしになるのか。それは、各方面で入念な取材をして物語に挑んだ作者の、腕の見せどころである。さりげない形で、あるいは説明口調で、なかなかよく分かるように読者に伝えてくれている。その点は問題はないだろうと思う。
 アルバイトもしている。しかし、大学入学については、浪人が許されないという心理的背景をもっている。そこへ、施設の子どもたちの問題も関わってくる。
 一番厳しかったのは、「税金泥棒」という悪口を、ある子が言われたということについてだった。ななみは、たぶん良い子だ。真面目な子で、賢い。だが、怒りやすい一面もあるし、思い込みが激しいところもある。必ずしも全面的に「良い子」であるようには描かれていない。この心理描写もまた、いい。入試のために書いているのではないはずだが、確かに入試に用いるには、恰好のキャラクターであろう。周囲の子どもたちも、また施設の大人たちも、人物としてなかなか色濃い。
 この大人たちに対しても、ななみは懐疑をもつことがある。だがもちろん基本的には信頼している。社会に対しても見る目があるが、親がいないということを表に出すこともしない。こうした、独特の心理が、物語を生んでゆくことになる。
 ボーイフレンドもいるが、この子がまた面白い。一緒に勉強をしたいのだが、何か言ってななみを怒らせたとき、自分がなにかやらかしたのかとびくびくしている。それでいて、深い仲でいるわけでもないから、受験勉強に没入するようになったときも、自分の勉強成果を日々知らせてくるのだ。
 ちょっとした、生活の中での出来事が、養護施設の子どもにとっては大事件になることがある。学校での出来事が、細かいところまでこだわって見つめる事態となる。こうした繊細な観察眼が、物語を引き立てる。社会に対する批判も、それなりにあるし、その中で自分の置かれた情況に対する分析もしなければならない。あの「税金泥棒」については、施設の大人も巻き込んで、かなり広範な議論が展開される。必ずしも満足な結論ではなかったかもしれないが、非常によい議論が紹介されていて、私も教えられた。確かにそのような目で見るべきなのだ、ということに気づかされた。ただ、ちょっとした発言が、施設の子どもたちの胸をえぐるこがあるのは本当だ。
 児童養護施設内の実生活、そこの子どもたちやスタッフが日頃感じていること、またそこから見える風景、私も知らないような情景が次々と目の前に現れる。テレビでちょうどチャリティー番組をやっていた。「児童養護施設に寄付します」と繰り返しアナウンスされている。だが、外から投げ銭をするという行為の中に、施設の内の事情やそこにいる「ひと」の心を、果たして人々は、そして私も、どれほど知ろうとしていただろうか。
 帯に書いてあるから、これも明らかにしてよいだろうと思う。そこには目立つように大きな文字で、こう書かれている。「いい大人になりたい。」だが、この言葉の重み、そこに隠れた日常の積み重ね、そうしたものは、物語を読んでみなければ、心に落ちてはこないだろう。逆に言えば、物語を辿ってきたならば、子どもたちは同じ希望をもつようになるかもしれないし、大人が読めば、「いい大人」にいますぐなりたい、と思うようになるかもしれない。
 物語をどうせ読むならば、そんな気持ちになりたい、とは思わないだろうか。




Takapan
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