本

『涙の箱』

ホンとの本

『涙の箱』
ハン・ガン
きむふな訳
評論社
\1650+
2025.8.

 2024年のノーベル文学賞受賞者。アジアだとか女性だとかの形容がつくが、私はそうしたことはどうでもいいと思う。実際に読んで触れてみて、自分がどう感じるか。あるいは、世界や時代がこれを評価しているということをどう思うか。その辺りにこそ、関心が湧く。
 図書館になかなか入らないようなので、受賞から一年、実際に読む機会がなかった。そこへ、今度図書館の棚に見たので、すぐに借りることにした。薄い小型の本である。想定がメルヘンチックで、文字が大きく余白が多い。ファンタジー的なイラストが時折挟まれている。帯には「大人のための童話」と書かれている。最初に読むにはだいぶ脇道から入るような気もしたが、与えられた機会は活かしてみたい。ということで、その世界に足を踏み入れてみた。
 もちろんストーリーをここに再現はしないつもりだが、とても読みやすい文体だと思った。否、それは翻訳者の力なのかもしれない。韓国生まれの方だが、日本で日本文学科を修めている。日韓の文学作品の紹介と翻訳に携わっているのだという。まだ韓国の文学は沢山紹介されていない状態のような気がするから、とてもよい仕事をしていることと尊敬する。その訳文が、とてもステキなのだ。
 訳文がよいということは、元の文もきっとそうなのだろう、と予感させる。いまのところ私にはそれくらいしか言えない。
 「昔、それほど昔ではない昔、ある村にひとりの子どもが住んでいた」という始まりの一文で、私の心は捕らえられた。これが、「昔、ある村にひとりの子どもが住んでいた」では、何気なく読み飛ばしていたはずだ。だが、まずそこに引っかかった。心が引っかけられた。これでもう、作家の勝ちである。
 続いて、「その子にも名前はあったが、みんなは名前ではなく<涙つぼ>と呼んでいた。なぜ、涙つぼだったのか、まずはその話からしよう」と語り手が告げることにより、読者は一気にその世界に入ってゆく。巧い。
 一言で言うと、この子は感性が豊かで敏感なのだ。思春期ならば「おセンチ」などと昔呼んだことだろう。刺激に敏感な病気が近年盛んに指摘されるが、そういうこととも違う。触れる情景が琴線に触れやすいのだ。私はそこまでもいかないが、少しそれは分かる。ちょっとしたドラマや映画を観ていても、涙がすうっと流れることがあるし、「目頭が熱くなる」というのもしょっちゅうである。年齢を重ねた故とは言えないくらい、以前からずっとである。
 「そんなある年の、早春のことだった」と、間もなく場面が転換する。ここで、「黒い服に黒い帽子を深くかぶったおじさんが村にやって来た」のである。おじさんは、「特別な涙を持っている子」を探していた。そうして、目頭を熱くしていたその子と出会う。
 おじさんは、「涙を集める人」なのだという。そしてその子に、ぜひいまここで涙を出してほしいと求める。が、何故か出てこない。
 おじさんは、自分を待つ人がいるから行くというと、その子はついて行くことを望む。
 この後は、楽しみに読んで戴きたいと思う。知らないおじさんについて行くなど、とても真似してもらいたくない情景が描かれているが、ともかくこれはファンタジーであり、「大人のための」ものである。この後、様々な涙の意味について経験してゆく様子が描かれており、涙とは何かを知り、本当の涙を探したくなるような気持ちに、読者は誘われてゆくのである。
 ところで、この「子ども」は、男女どちらなのだろう。表紙やイラストには、女の子の顔が書いてある。訳者も、自分のことを子どもが「わたし」と呼んでいるように記す。だが、「彼」または「彼女」という訳し方はせず、すべて「子ども」で済ませている。
 もしかすると、作者は、男女を限定していないのではないだろうか。それとも、私の見落としで、どこかにはっきりとそれを示していたのだろうか。私は、子どもの性別は、不明なままで始まり、不明なままで終わってよいのではないか、と密かに期待している。涙脆いのが女の子に特有のものだ、と限定する必要はないし、読者が男女どちらであっても、自分を子どもにしてこの物語に参加することを阻まないと思うからである。
 悪人が出てこない物語は、嬉しい。心が安らぐ。大人のための童話、いいではないか。そして、この作者の本を、さらに読んでみたいと思う気持ちになった。また楽しみが増えた。




Takapan
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