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『慰めのほとりの教会』

ホンとの本

『慰めのほとりの教会』
クリスティアン・メラー
加藤常昭訳
教文館
\2800+
2006.11.

 教会に関しては、著者はすでに『慰めの共同体・教会』という本を出しており、邦訳もされている。それの続編扱いだというが、あまりそれを意識しなくても読むことができるだろう。私はそちらをまだ読んでいないので、今回はこの続編の方にのみ的を絞って振り返ることにする。
 どちらの書にも「慰め」という語が入っている。もちろん、それがキーワードである。聖書には「慰め主」という言葉がある。「助け主」とも言う。イエスが地上を去った後、弟子たちを助けるお方、神の姿であるが、所謂「聖霊」のことである。これを踏まえていることは明確なので、本書で強調される「慰め」の教会というのは、聖霊に導かれる教会、という理解でよいだろうと思う。
 本書の特徴として、翻訳の読みやすさはもちろんだが、「訳註」の充実がまず挙げられて然るべきだろう。頁をめくる必要はない。そして、本分にまつわる様々なことを物語ってくれる。語の意味はもちろんだが、それもドイツ語のニュアンスや他の意味などの背景も知らせる。時に原文を挙げ、読者に役に立つ情報をもたらしている。ちょっした言い回しの引用は、並の訳者では気がつくまい。雑誌からの引用もたくさん紹介してあり、どういうソースからこれらの情報を得ているのか、不思議である。
 特に85頁には、本書のメイン概念である「慰め」についての理解を深める参考文献が並んでおり、とても「訳註」どころではない。さらに、ドイツの教会の習慣を補って、本文にある不自然な事柄の意味を教えてくれるというのは、日本のキリスト者でも分からないことであるため、非常に重宝する。ドイツで暮らした経験のある訳者ならではの業であろう。
 さて、内容であるが、しばらくはヘルチュという牧師の詩を少しずつ検討するという、見た目には地味な始まりを見せる。だがそれは、20世紀のドイツでのキリスト教の姿を、年代毎に区切って象徴的に表現したものである。人々が教会に集まってきた時期と、教会を離れてゆく時期を、交互に繰り返している様子を描いている。ここから、人々にとり教会とは何であるか、また教会がその時代時代に何をもたらしていたのか、ということを振り返る機会となしている。もちろん日本での教会の姿と一致する訳ではない。が、重ならないこともないわけで、ここで挙げられている実情は、分かる部分も多い。
 ドイツでの教会の立場は、日本でいえば仏教の寺のあり方に近い。寺に人々が押し寄せるような様子は想像しにくいが、ずっと昔はあったかもしれない。すっかり習俗化してしまった近代の中での寺院の姿は、ここにあるドイツ教会の姿とはまた違うのではあるが、人々の心理を考えるときの参考にはなるだろう。但し、いわゆる「教会税」という特殊な事情があることについては、感覚的に分かりにくい面がある。その仕組みについて、「訳註」がどこかで記していたかもしれないが、読者にとって、知らない場合には理解が難しいかもしれない。本の最後のほうでは特に、教会の経済について述べられている箇所があり、教会税という、自由ではあるが公的なシステムが、教会を支えている点が、心理的にも影響するであろうことが窺える。またそれは、牧師などの立場にとっても、大きなポイントとなるであろう。私も十分説明しきれないので、関心のある方はちょっと検索して戴くとよろしいかと思う。
 その次からは、教会がどのように「慰め」となるのかを、いろいろなアスペクトから取り上げてゆく。「教会を信じ切る」「教会を経験する」「教会を刷新する」と、あくまでも信仰を前提とした叙述ではあるが、なんとなく教会生活を続けていく中で、キリスト者が感じることがそこにはあるだろうし、ハッと気づかされることも多々あると思われる。
 こういうわけなので、個人の信仰体験について考えるというよりも、教会というあり方、その教会がどのように営まれているか、人がどう関わっていくか、というところを周回するかのように、案内が続いていくことになる。
 最後には、「聖霊による教会指導」と題した章が設けられている。ここでようやく、愛や霊といった、いかにも信仰的な内容について目を落としていく。教会が「慰め」与えることの実際や意味などについては、確かに前半からの流れがよく示しているとは思うが、教会というシステムよりも、個人の立場から教会や礼拝にどう向き合っていくか、という方向により関心のある方は、思い切って最終章から読み始めてみるという手もあるかもしれない。
 全般的に事例も多く紹介され、できるだけ具体的に物事を理解していくことができるように配慮してあるように見える。本分も見やすく構成されており、特にイラストや写真があるわけではないが、そう退屈させない魅力を覚える。どういう本でもそうだが、「訳者あとがき」は、そもそもの著者についてや本全般について基本的なことを教えてくれるので、最初に読んでもよいのではないかと思う。その中で訳者は告げる。「いつの時代であっても、どこにあってもキリストの教会が<慰めのほとりの教会>であることには変わりはありません。」これが、日本においても、いまも後も、適用できる見方であることを、伝えたいようであった。その願いがあるからこそ、本書を訳したのであろう、と推測するに難くないはずである。




Takapan
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