本

『慰めの手紙』

ホンとの本

『慰めの手紙』
ヘンリ・J・M・ナウエン
秋葉晴彦訳
聖公会出版
\1200+
2001.10.

 悲しい本だ。母親を失った著者が、その父親と交わした手紙を集めたものである。子からの呼びかけであるから、父親の反応は分からないが、それでよいだろう。
 ナウエンはオランダに生まれ、神学部教授を長年務めた後、知的障害をもつ人々のとの共同体を牧し、多くの優れた黙想書を著している。研ぎ澄まされたその黙想から生まれる言葉は一言ひとことが重く、鋭く、そして優しい。多くのファンをもつが、私もその一人である。決して神秘主義に走らず、いたって当たり前のことを、しかし聖書から漏れ出ずる光を集め、暗闇を意識する読書に、ほら、と提示するかのようであるように感じている。
 その黙想が、実の母親の死ということを現実にしたときにどうなるか。その真心が、痛々しいほどに伝わってくるし、しかしそこに希望の真実があるということも、よく分かる。
 私のような者が下手に不十分な紹介をするよりは、ぜひ直に読んで戴きたいものだと溜息をつく。ここには、徹底的に、死を見つめ、死に苦しみ、しかし死を超えた勝利を勝ち取る精神の過程が、日常的な言葉で語りかけるように、示されていると言えよう。
 途中、こんなことが書かれている。「死について考えるのは、ほとんどの場合、まだ死に臨んでいない人です。」なるほど、確かにいま死に向き合った人ももちろん考えるものではあるだろうが、そうなってから初めて考えるようであっては、あまり勝利感へとは導かれないかもしれない。「全力を注いで死とたたかわねばならなくなる前にわたしたちの死について考えることが必要です。死に備えることは大切なこと、とても大切なことです。」このようにして、母親の死を通して、死を見つめて生きる人間の普遍的なあり方が露呈される。しかしこの時に、「おかあさんの死の意味を自らに問わねばなりませんし、今までにないかたちで自らの死に直面させられています。」ならばどうすればよいのか。それは「死を友とすることです。」それは、「自由な人間になることができる」からだと著者は言う。そしてここからほんとうの意味で神が愛であることを覚り、「おかあさんの愛は死なない愛、死ぬことができない愛の反映である」と気づくイースターとなるのだと結ぶ手紙があったのだ。
 こうした手紙がいくつも集められ、つなげられ、私たちに語りかけてくる。私たちは時に目を背けたくもなるし、心をはぐらかしたくもなるものだが、その死に対して、これほどに温かな心で見つめる眼差しというものを、見たことがない。恐ろしいものである中で、しみじみと死を手なずけているような言葉は、本当に珍しい。
 それぞれの手紙の末尾に、数語だけ註が施される場合がある。いずれも的確な註で、キリスト教に馴染みが薄い人、いや、キリスト教の信徒であっても宗派が違えば馴染みのない用語や習慣があるので、これは助かる。また、日本語では気づかない、言葉の上での秘密も紹介され、訳者の腕がここに表されていると感ずる。
 このような信仰は、世界を変える。著者はそれを確信している。聖書学がどうだというのも、大切な研究ではあるが、実際に弱い人々と友に生きる中で、キリストの歩みを生きることへと誘われ、実際に歩んだ人物だからこそ、その黙想も、言葉と現実とが一致する神の真実につながるものがきっとある。訳者の技術もあるかもしれないが、たいへん読みやすい本であり、それほど厚いものではない。しかし、もしかすると読者の人生を変える一冊になるかもしれない、それほどの力と愛を隠し持った本であると私は信じる。
 そして、母親が健在でも、すでに世を去っていても、私たちは、自分の切ない思いに気づくことだろう。これを読んだ時から、それまでとは違った方向に歩み始めることができるのではないだろうか。私たちの弱さも、苦しさも、すべてを確かに「慰め」る本であると首肯するばかりである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります