本

『娘よ、ここが長崎です』

ホンとの本

『娘よ、ここが長崎です』
筒井茅乃
松岡政春・保田孝写真
くもん出版
\1365
2007.7

 22年前に出版された本が再び新装版となって登場した。この間、登場人物で亡くなった方もいて、そうした動きにも少し触れてある。
 永井隆。先日、小学生が街の人にインタビューして、「8月9日は何の日だか知っていますか」と意識を高める学習をしていたが、私が、「永井隆さんを知っていますか」と逆に尋ねたら、知らない、とのことだった。
 長崎の原子爆弾投下について、それは何万という人の数だけエピソードはあるはずだが、人々の治療にあたり、また自ら原爆症で倒れてなお多くの本を死の直前まで著していた、永井隆さんの名前が伝えられていないというのは、寂しいことだと感じた。
 そのお嬢さんが、勧められて、原爆にまつわる家族のことを綴ったことにより、一冊の本ができた。学校の作文以来だと謙遜しておられるが、なかなかどうして、文章としても優れている。淡々と綴るその姿から、熱い思いがにじみ出てくる。
 被爆以前の生活から、被爆後の様子、そして父親の死とその後の自分の成長のことが、この本には記されている。自分の子どもだけではないと思う。これから未来を背負っていく、すべての子どもたち、若い人たちに、平和を伝えようとしているに違いない。
 それも、気負いなく、政治的な言論でもなく、やたら理想論を押しつけるでもなく、ほんとうに淡泊に生活が語られているだけなのだが、その抑えた表現だからこそ、私たちに響いてくるものがよけいにあるように感じられた。原爆の被害についても、ことさらに残酷さを見せつけるようなことはしない。子ども向けの本であるという意識も当然あるだろうが、いくらかの想像力さえあれば、それがどんなに惨いことであるか、分かろうというものだ。
 父親を神聖化するようなことでもないと思う。一人の人間として、また自分の父親として、素朴に描かれている。そして、ただただ娘に向かって語るのだが、戦争は愚かだ、あってはならない、と結んでいる。この悲惨さをまたすべての人が味わってから後に反省したり気がついたりするのでなく、味わった私たちのこの体験の声を聞いて、精一杯想像してほしい、というような願いである。
 これが、伝える、ということなのだと重く受け止めた。
 振り仮名もついており、子ども向けに作られた本である。だが、私はいつも言う。それを大人が読むべきだ、と。自分たちが、子どもたちへ、つまり次の世代へ、何を伝えなければならないかは、子ども向けの本が最も相応しいのだ。
 平和。口で言うのは簡単だ。だが、その実現は、なんと困難なことだろう。そのためには限りない犠牲があった。なにも、神社に祀った軍人を拝ませることに躍起にならなくてよいのだ。名も覚えられぬ、言葉も発さなかった、幾多の人々の声を、私たちは聞くことが、できるはずなのだ。聞く耳さえあれば。




Takapan
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