本

『文系のためのめっちゃやさしい 無とか何か』

ホンとの本

『文系のためのめっちゃやさしい 無とか何か』
佐々木真人監修
NEWTON PRESS
\1500+
2022.5.

 表紙に文字がたらたら並び、言い訳がましい印象すら与える、ちゃらいデザインである。「東京大学の先生伝授」あたりが、信頼性を呼びかけるが、さて、読者の反応は如何に。しかテーマはしっかりしている。「無」である。「無とは何か」これに尽きる。そして、内容にしても、ここからブレていない。確かに、考える上で様々な前提になる事柄を理解してもらうために、導きの過程というものはあるが、道は揺らいでいないと思う。
 横書きである。先生と生徒とが顔のイラストで表され、その対話が実況中継されているという感じで最後まで進む。そのイラストに、微妙な表情の差が付いているところが、ちょっと細かい。驚いたり、冷や汗を書いたり、もちろん笑ったりしている。嫌みのないイラストが随所にあり、宇宙理論もイラストで分かりやすく提示してある。
 いやはや、これは愉快だ。
 私は、中学生のときに、宇宙の本をよく呼んでいた。素粒子という考えに魅力を覚え、ブラックホールにしても、理論的な話に夢中になっていた。もちろん、数式でそれを理解できるような頭脳は持ち合わせていない。それは今でも同じである。だから、本書にもまた、数式は殆ど出てこない。「殆ど」と言ったのは、話しているその理論がたとえばこういう関係式なのだよ、という見本のようなものとなって、掲げられることはあるからだ。少なくとも、計算を始めるようなことはないので安心願いたい。
 因みにこの生徒というのは、27歳の文系サラリーマンである。推測するに、これは編集者または担当者そのものであろう。そうでないと、この設定がわざわざなされる理由がない。宇宙理論などド素人でありながら、東大の准教授が楽しく話すものに、よくついていっている。むしろ感心する。
 まず、宇宙は無から誕生した、という話題をこのサラリーマンがもちだすところから、話が始まる。では「無」とは何だろう。真空のことだろうか。こういうところから、「無」についての、様々な捉え方が吟味される。
 まずは数字のゼロである。数学的概念としての「無」ならば、抽象的な思考に慣れない私たちも、理解できる。それが、自然界のゼロということになれば、だんだん怪しくなる。「絶対零度」ではどういうことが起こるのか。それは想像を絶する世界であるらしい。ブラックホールという、ひとつのゼロについて考えるために、光の粒子のことも持ち出してきて、次第に物理学らしくなっていく。
 先に気になった「真空」を見出す歴史を顧みたら、その厳密な定義からすると、およそ真空というものは作りづらいものだと分かってくる。待てよ。原子だの電子だのといっていると、その原子の内で、原子核と電子の間は、真空そのものではないのかということにも気づいてくる。
 そうなると、電子が同時に2箇所に存在できることやら、雲のように存在することやら、物理学が私たちのマクロな常識の通用しないところで成立していることが、じわじわと伝わってくるようになる。これは私は、神の認識について応用できる考え方ではないか、と密かに思っている。
 真空の曖昧なあり方から、そこに「場」という真打ちがちらりと顔を見せてくる。現代理論物理の面白いところが、ふんだんに登場するから、さすがにこれは私が中学生のときに関心をもった頃の本にはなかった。ひも理論にしても、イラストも含めて、本書ほど楽しく学べる本は、私は見たことがないと思う。
 光が粒子であり波であるなどという、不条理な話を超えたら、次はいよいよ宇宙の「無」である。ビッグバンはよく知られるようになったが、そうした理論の展開や、どのような気づかれ方をしたのかなど、物理学史の勉強にもなりそうな話が現れる。宇宙の膨張や、もしかすると生成と消滅を繰り返しているかもしれない宇宙の話や、現代でも謎としか呼べないような事態が、むしろ読者には夢を与えるようなところがないだろうかと感じた。
 こうして現代物理が辿り着いた、現在の宇宙観であるが、私はずいぶんと、聖書の表現が、無器用ではあるにしても、実に理に適った描写をしているのだということに、だんだん気づいてきた。無からの創造というのは、ひとつの神学に過ぎないかもしれないが、創世記がぎこちなくも古代人の語彙で書き留めた物語は、かなり物理学の最前線に沿っているように感じられてならないのである。それは、いつか宇宙の終わりがくるということも、あるとき一瞬にしてそれが起こるのだという。トンネル効果で真空崩壊が起こると、原子レベルであらゆる存在がバラバラになってしまう、というような言い方が本書の中にあった。世の終わりは、一瞬にして来るという物理的な性質がここに記されているのだとすると、聖書は、なかなかやるものだと改めて驚かされた。世界の終わりは、日付変更線があるから、その「今日」とはいつなのか、などという屁理屈を私は考えたことがあるが、宇宙の一瞬の崩壊となると、世界の終わりは有無を言わさず確かに一瞬なのだ。  だから思う。聖書、畏るべし。




Takapan
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