本

『音楽の理論』

ホンとの本

『音楽の理論』
門馬直美
講談社学術文庫
\1310+
2019.9.

 立派な著作には目を通す機会があるといい。本書は、立派な教科書である。楽典と呼ぶには楽譜の読み方や速度記号などを殊更に説明しようとするものではないが、確かに「理論」と呼ぶに値するような説明がとことん試みられている。これでも専門的にならないにうよ、平易に説明するに努めたというが、クラシックの理論を音楽大学で詰め込まれていない限り、すべてを理解するというのは難しいことだろう。
 だが、楽譜がある程度読めたり、とくに曲がりなりにも作曲をしたことがある者にとっては、言おうとしていることは分からないわけではない。噛みしめることはできないが、噛みつくくらいのことはできそうである。
 コードなどの理論ではない。まことにクラシックに適用できる知識の集大成のようなものである。しかも一つひとつの説明について、楽譜の実例を示してくれるので、具体的に理論を「見る」ことができる。その楽譜については、便宜上示すというのではなく、一流の作曲者の作品、つまりクラシック作品の中から抜き出して示してある。いくら専門家とはいえ、あらゆる楽曲の中で、その和音の存在する箇所や転調の技、その和音の転回利用などを実例として示すほどの知識があるものなのだろうか。あるのかもしれないが、やはりこの拾い出しひとつとっても、とてつもない音楽の世界の厳しさを垣間見るような思いが走った。
 まず基礎からいくと、音程と音階の定義に始まり、調というもの、また和音について足早に伝え、和声から外れる音、たとえば経過音や倚音などの区別が一つひとつ丁寧に説明される。それから転回が始まると、属七や属九などの和音が語られ、ナポリ六度などの変化和音へと進んでいく。最後に教会旋法などの特殊な和声が加えられ、ようやく和声の理論が区切られる。
 それから転調であるが、学校で学ぶ二種類くらいの転調には留まらず、いくつもあることに驚かされ、続いてリズムや旋律について教授が始まる。そうして対位法、カノンと、ようやく楽曲らしい部門に入る。最後に、ロンド形式やフーガ、ソナタ形式などといった形式の理論に比較的簡単に触れて、本書は幕を閉じる。
 教科書ではないので、練習問題を入れるのは避けられている。それよりもいち早く全体を見渡す視野をもとうという目的があるようだ。この、全体を見渡すというのは案外大切なことなのであって、概略を知り、これから旅する地のおおまかな地理を知るということからまず始めて、それから細かな点を調べにかかるというのは、ある意味で探究する世界を旅のセオリーであろう。著者は初めに、従来の類書は、規則を並べそれに従うことを以て理論の解説としていたが、なぜその理論ができたか、また大作曲家たちはどのようにそれを捉えて用いたか、などへ踏み込むことをやったのだという。
 初版は昭和30年。驚くべき古さである。本書の版ではその古さを改めるための改訂を行っているという。これが平成3年。著者が亡くなる10年前の改稿だ。
 その編集方針や解説は著者独自のものであるというから、その道に関心のある方は、比較的手軽に入手できる文庫版となったことでもあり、手にしておくとよいと思われる。その理論のすべてをご存じの方は構わないが、私のような者は、ふと気になって、あれはどういう意味なんだろう、と思ったときにまた開くと役に立つことだろう。そうでなくても、ただ一通り読んでいくだけでも、音楽の深い世界を見せてもらうようで、心地よい。これから音楽を聴くときに、あそこに書いてあったな、と思い出して開くことくらいなら、私にもできそうである。




Takapan
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