本

『室町幕府論』

ホンとの本

『室町幕府論』
早島大祐
講談社選書メチエ486
\1890
2010.12.

 室町時代は、歴史的にそう注目されない時代であるかのように見える。古代日本は熱くなる論争がある。平安時代の文学は世界的にも有名だ。鎌倉も地味だが初の武士政権や封建制度に加え、元寇という希有の国難と経済的行き詰まりは、考えさせるテーマとなっている。戦国武将の人気は言うまでもなく、江戸時代は時代劇でもちきりである。そこへいくと、室町って何だっけ、ということにもなりかねない。甚だしくは、この政権が日本のどこにあったのか、つまり「室町」とはなんぞやから知られていない可能性すらある。おまけに、後半は、足利政権が存在するにも拘わらず、「戦国時代」と呼ばれてしまう始末。日本全国が争乱に明け暮れ、下克上の世の中とり、室町幕府はなすすべがなかった、とくれば、無能な政権だったというイメージをばらまくよりほかにない。
 たしかに、金閣はある。しかし申し訳に出される銀閣は、地味すぎると悪評である。調べていくと、銀閣も実はなかなかのものであったということが分かっていくのだろうが、一般の感覚ではそうである。その義政が、戦国の世のきっかけをこしらえてしまうとなると、もう目も当てられない。応仁の乱を招き、京の都を壊滅させたという汚名を響かせることになる。
 この応仁の乱は、今でも京都の人が、「先の戦争」と呼ぶものの対象であるように、京都にとっては重大な戦乱であった。何もかもを滅ぼして、すっかり新たに生まれかわる世の中の始まりのゼロとなったようなものであったという。
 だからまた、これは、平安貴族の社会から、現在に続く京都のありかたへと転換する大きな出来事とも見なされる。国語学者の中には、日本語の画期的な変化もこのころなされた、と考える人も多いのではないか。
 この本に関係のない前置きが長くなりすぎた。
 この室町時代であるが、地味なその性格とは逆に、歴史に埋もれて今は顧みられないけれども、ド派手な建物がかつてあったのだという。この本は、その指摘から始まる。なんと高さ百メートルを超えるであろうという、塔である。
 哀しいかな、落雷の餌食となり、できては燃えるということを繰り返し、ついには再建もされなくなったようだという。
 これを建てたのが、三代将軍義満。おなじみの将軍である。
 いったい、どういう財源からこういうことができたのか。また、義満はなぜこんなことを目ざしたのか。時は南北朝時代の終わり。天皇という権威を味方につけようにも、その朝廷が当時どうなっていたのか。またそれをどう利用したのか。
 歴史の謎は、しばしば、ロマンとして語られる。だが、そうだろうか。私たちの社会は、夢や理想で動いているだろうか。違うはずだ。世の中を動かす原理は、金銭である。ちょっと気取って言えば、経済である。それで、室町幕府の動きにしても、経済をどう立てて運用していったのか、そこで生まれる力関係を経済がどうまとめていったのか、そこを考える必要がある。徳政令が鎌倉末期に出されていたが、濫用されると経済がおかしくなる。室町幕府は、鎌倉の失政を十分見て知っていたであろうから、それを他山の石として経済政策を実現させていきたかったことであろう。いや、相変わらず室町幕府は、軍事政権であったはずだ。朝廷の経済はどうであったか。それを資料から実証しながら、論は展開する。
 著者の注目点は、義満の手腕ももちろんなのであるが、それを継いだ息子の、四代将軍義持である。継いだ、という言葉を今私は用いたが、父の政策をむしろストップさせていくことをやったのであり、足利政権の真の基盤を据えたのは、この義持の時代だと言えるのではないか、と著者は言う。
 歴史好きにはなかなか味わい深い、そして刺激的な論ではなかろうか。若い研究者の、新鮮な視点と明確な論理が光っている。ただ、私は歴史の知識は無いに等しいので、これが実証的であるのかどうなのか、真実に近いのかどうなのか、その辺りは、歴史家の皆さんの判断を仰ぎたい。私には、ちょっと詳しすぎた気がした。どこかで、レジュメのように、本筋を明確に案内してもらえると、読者たる自分が論のどのあたりを走っているのか、掴みやすかったのではないかと思う。
 もちろん、巻末の目次があるなど、丁寧な制作の本であったことは請け合いである。




Takapan
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