本

『人殺しの論理』

ホンとの本

『人殺しの論理』
小野一光
幻冬舎新書524
\820+
2018.11.

 読んで気持ちのよい本ではない。しかし、だから無用だとも思わない。ただ、では読んでみようかと思う方がいらしたら、ひとつ覚悟を決めて本を開いて戴きたい。
 本書は、サブタイトルにあるように「凶悪殺人犯へのインタビュー」の記録である。死刑が確定したら、死刑が予想されるような人物に迫ったときのことを紹介し、とくにその取材をどのように成功させるかという点がよく描かれている。週刊誌などへ寄稿するフリーライターが著者である。警察権力や一定の実績をもつ探偵社などとも違う個人的取材であるため、いわば自力で接触をもち、取材を認めてもらわなければならない。しかも、その取材結果により飯を食っているわけで、これは単に興味本位で探っているんだろうなどというレベルではなく、まさに自分の食い扶持を稼ぐための必死の攻防なのである。その手法を、こんなに明かしてよいのだろうか、と思われるほどに、取材のイロハから細かなテクニックまでを教えてくれている。
 ここではその詳細を示すようなことはしない。とにかく、近隣への取材のコツから服装、嘘を見抜く方法や面会の手続きに至るまで、どんどん書いてくれている。もちろん、だからと言っておいそれと誰もが真似して実際に死刑囚に会いに行くなどということができるわけではない。また、自宅の住所を当人に教え手紙のやりとりをするなど、命を賭けた交流がなされる。本書には比較的よい関係が築けた相手が選ばれているが、それでもその交流の中では恐ろしいと思われるようなこともあったし、他にも凄まれるなどすると、たまらないものが正直あるということも打ち明けている。本当にそうだろう。信頼関係を築くということは、それなりのリスクが必要なのだ。
 5人の実例を以て、それぞれの殺人犯の個性が豊かに描かれる。もちろんそれは、プライバシーの侵害と紙一重である。よくぞこんなに公開したものだと一読者として驚くほどである。それぞれの事件は、私も詳しく知らないのもあるが、マスコミが大騒ぎしたものも含まれており、その背後にある殺人犯の人間性なども、テレビなどで短時間で紹介されるものとは違い、じっくりつきあった著者ならではの人間像が見えてくる。
 著者は福岡県生まれ。いまのお住まいは知らないが、取材も多く福岡で行われているようだから、どこかに住まいのことが書かれてあったかもしれない。福岡がえらく怖いところだという評判も生まれそうなくらい、ここには酷い殺人事件がいくつも出てくる。それも比較的最近のものである。事件を紹介するには、またその犯人像を伝えるには、その事件そのものを読者に知らせないといけない。えげつない書き方をするわけはなく、淡々と事実として綴った、調書的なものであるように配慮されたものであるにせよ、殺人の方法や遺体処理についての記述は、テレビでは放送できないであろうくらいに、きついものがある。繰り返すが、覚悟をしてお読み戴きたい。
 各人の人生も書かれている。どんな背景があって事件に至ったのか、それは原因とは言えないまでも、関連を思わせる背景として十分な要素があるようにも見受けられる。とくに週刊誌の記事であれば、人々の耳目を集めるような内容でなければならないであろう。そのあたりの要請はあるものの、決して取材者自身は興味本位で取材しているわけではない。そのことはよく分かった。現場で汚れている人は、決死の思いで戦っているのだ。その意味では、週刊誌だから、と軽蔑するような私たちのために、本書は上梓されたのかもしれない。軽く見るなよ、自分は汚れないところで高みから眺めて、情報を得るために命を賭けて取材している者の必死さを少しは分かってもらえただろうか、というような声を、著者が発したかどうかは分からないが、そのように、これは大した尊敬に値するお仕事であるものだと頭を下げなければならないと思った。
 殺人者にも論理がある。如何に世間の自称善人が見下そうとも、彼らには彼らの論理がある。どうすれば殺人事件がなくなるか、といった理想論は実際画餅であろうけれども、殺人者が事件前に抱く心理、逃亡の中で考える心理、裁判や死刑囚となってからの心理など、このように聞いてみると、驚くほど私自身の心理と近いものが多々あることに気づかされる。罪人であり死へと向かう私たち一人ひとりは、考えてみれば、事件を起こした点でも、死を待つ点でも、ここで取材された牢の中の人たちと、本質的には同じなのだと、改めて深く思わされたのである。




Takapan
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