本

『うれしかった言葉 悲しかったことば』

ホンとの本

『うれしかった言葉 悲しかったことば』
麦の会声だより編集委員会編
海鳥社
\999
2004.9

 サブタイトルは「難病のわが子と生きるお母さんたちの声」。
 久留米大学医学部の小児科で、実に心ある運動が始まっている。小児科病棟で保育ボランティアをしている人のうちから声が起こり、「麦の会」というグループが形成された。難病の子を抱える親同士のネットワークがつくられたのである。
 ただでさえ苦しく、辛く、なかなかほかの人々に理解されないと思っている。医療現場でも、悲しいことや怒りさえ湧き起こるばかり。それでいて、その不満をぶつけることもできないである。病気の子の親たちの、はけ口にでもなれば、という思いもあったことだろう。
 だが、そんな消極的な意味では、もはやなくなっている。
 これは、すばらしい会だ。
 私ごときが、この問題についてとやかく言うことはできない。すべては、この本に詰まっている。私は幸い健康な子どもたちに囲まれているから、そんな親には分からないだろう、と言われれば確かにそれまでである。ただ、私も長男は幼くして喘息を背負い、かなり重度のように扱われて大学病院と関わり、テオドールを常用しなければならない生活を続けた。夜中に吸入にかけつけたことも度々であった。子どもが病気と闘っている姿を見たことが、ないわけではない。
 この本にある37の例は、どれもが難病である。そして、すでに永遠の眠りについた子どもの例もある。一人一人の家族が、その子のことを思い出すなどしながらも、語ってくれた。
 聞き取り調査のポイントはすべて三点。「人に言われて嬉しかったこと」「人に言われて悲しかったこと、いやだったこと」そして「不安なことや要望、そのほか思うこと」である。良かれと思って投げかける私たちの言葉や、何気なく発する言葉が、いかに病気の子を抱える親とその子を傷つけているかということを、思い知らされる。まさに、ヤコブ書にある如く、「舌は火」である。「がんばれ」と軽々しく言うとき、何をこれ以上ガンバレというのか、責めているのか、と思われる。「かわいそう」と言うとき、一人の人間であるというより一段下に見られているように感じる。――問題が単純でないのは、そうした言葉が、同じ言葉であっても、嬉しく聞こえる場合もあるということである。まさに、言葉尻ではなく、ハートがどう伝わるかという点である。それは、教育でも実は同じなので、私も共感する思いである。もちろん、命そのものが問われているケースの尊さは比にはならないものであるが。
 私はどのページにも瞼が熱くなって仕方がなかった。
 地元福岡で話題になっている本である。もっともっと知られてほしい。もっともっと読まれてほしい。
 そして、小児科が儲からないからとか、少子化なので予算が出せないとかいうことで、小児科医療が縮小されるようなことは、絶対になくしてほしい。子どもがたんなる財産であるなら処分もできようが、子どもは宝である。かけがえのないものである。小児科は金で賄える問題ではないのだ……。




Takapan
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