本

『現代哲学の論点』

ホンとの本

『現代哲学の論点』
仲正昌樹
NHK出版新書667
\930+
2022.3.

 同じ新書で、すでに『現代哲学の最前線』などを著者は著わしている。その他、現代の問題を分かりやすく表現して伝えようと常に努めていて、今を生きる私たちが何かを深く考えるときに、とてもよい素材を提供してくれている。ありがたいものである。
 今回は、発行の2022年現在で、思想界はもちろんのこと、現代社会に大きく影響を与える問題として、著者の観点からいくつかの話題を取り上げることとなった。サブタイトルは、それらをまとめる形で、「人新世・シンギュラリティ・非人間の倫理」としている。ちょっと知るところもあるだろうが、それらが何を問題としているかは、少しばかり謎めいたものとして、思わず本を開いてみたいという気持ちにさせられる。
 タイトルの「哲学」の文字は、哲学史を辿るためのものではない。また、現代の問題を、過去の哲学者の台詞を飾って、すごいね、などというものではない。
 哲学が「問い」にまつわるものであるのなら、いま私たちが問わなければならないことは何であるのか。また、問い始められているその問いを、これからどう方向付けていく必要があるのか。しかし、哲学者がその時代の問いに何かを答えてくれるに違いない、などといった幻想に捕らわれていはいけない。しかし、哲学は闘わなければならないだろう。答えを出すためではなく、生きるために。
 本書は、現代における問題をひとつ整理することを要件としている。たんに著者の気紛れで綴っているのではない。どういう人がどういう角度から、どういう議論を持ち出しているのか。それを提供することが、ひとつの使命である。しかし、戦われている議論を眺めるためのものでもないだろう。そのため、やはりここには構造的に意味のある話題を、というよりも、恐らく著者が選んだ話題を次々に繰り出している、というものであると言ったほうがよいであろう。
 その意味では、関心のあるところから食らいついてもよいかもしれない。
 帯の裏側に、そのテーマが8つ、並べられている。すべてを並べるよりは書店でご覧くださればよいと思うので、気ままに拾ってみると、まずコロナ禍におけるリモートから、私たちのこれからの社会がどう動くことになるのか、についてのひとつの可能性あるいは危惧を捉えている。対面ではない中で、首脳会談もなされるし、案外それが便利だということを自覚したとする。では、政治一般もそうなるのか。私たちの政治参加、あるいはそもそも議論なるものが、リモートでできてしまうのか。それは、群衆心理とどう関わるのだろうか。ネット空間での空気は読めるのだろうか。「炎上」というのがあるのならば、独り善がりの正義が、対話のない世界で、ますます増幅するだけになりはしないだろうか。
 私たちの疑問や懸念といったものが、本書を読んでいくと次々と浮かび上がってくるような気がする。
 そうした世界では、プライバシーの概念も、従来と同じわけにはいかないだろう。そうでなくても、小学校などではクラス連絡網なるものがもう作れなくなってきているし、塾でも成績の張り出しにクレームがこないとも限らない。生徒にちょっとした質問を、授業の内容に関してするにしても、まずいケースが頻出するだろう。アーレントが、プライバシーについてむしろいまから見れば逆説的に、公共に参加することのほうをプライバシーと捉えていたような時代の指摘もしていたが、ではこれからのプライバシーとは何のことか、いったい定義すらできないのではないか、そんなことを著者と共に考えていくのは面白い。
 中程で、「人間」概念についての反省もなされている。そうなのだ、私たちが「人間」と呟くときの、その意味は、百年前の人の思い浮かべるものとも違っていることだろう。人間とは何か。カントが問うた問いすら、もうその主語が何を指しているのかさえ、共通理解ができなくなってきているのではないか。このとき、ニーチェがやたら叫んだ「超人」という概念が、大切なテーマにさえなってくるだろう。それとも、それは私たちがそのように呼び名付けただけの代物であり、私たちの思考法は何も変わっていないのだろうか。社会制度が変わったことも無関係なのだろうか。否、そんな普遍性は期待できない。
 サブタイトルにもあった「シンギュラリティ」とは、特異点という意味だが、AIのことをいうように考えて差し支えないだろう。AIがどんどん発展している中で、手塚治虫が描いたような、人工頭脳が世界を牛耳る世界が、絵空事ではなくなってきている。
 本書で取り上げられている「エコロジー」についても、私は世で言われていることには懐疑的である。ここで「人新世」が取り上げられるべきであろう。それは、人類が地球に与えた影響を、恰も地質学的な時代のひとつであるかのように取り扱うものである。人類を、客観的に地球上での生物のひとつとして捉えるとき、地球を破壊するがん細胞のようにしか見えなくなる点については、心ある人がしばしば指摘してきた。だが、その警告も、あまり大した変化をもたらさない。いま今度はSDGsが流行語となり、正義の代名詞のようにも用いられ始めている。その瞬間、その語の理念は地に落ちていく。
 さらに科学の問題、自由意志の問題に触れる。どれもが、やや思いつきや場当たり的な取り上げ方をしているようなふうにも見えるが、それもまた、大切なことである。コロナ禍では、私たちは自由を制限されてきた。それは如何にして可能なのだろうか。この騒動の責任はどこに向かうのだろうか。
 答えがあるわけではない。私たちは一人ひとり、こうした問いの生じる世界に生きている。これらの問いから逃げることもできるだろうが、私たちは、もっと呼びかけられてみたい。これらの問いに呼ばれ、それからまた自分自身から呼ぶ。そこから、リモートであれどうであれ、他者との対話が招かれて生じるときに、新たな哲学の記述が始まっていくものなのかもしれない。いずれにしても、人類は哲学を止めるわけにはゆかないもののようだ。




Takapan
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