本

『最後の授業 映画とは"フィロソフィー"』

ホンとの本

『最後の授業 映画とは"フィロソフィー"』
大林宣彦
主婦の友社
\1300+
2020.3.

 実はこれを読書中、大林宣彦監督の訃報が入ってきた。手が震えるようだった。本のタイトルも「最後の授業」。実はこのタイトルは、何人かの方が同じ題で語るシリーズとなっており、NHKのドキュメンタリー番組の内容を書籍化したものである。もちろん未放送部分もたくさんあるだろうから、それも収録されている。
 高齢となりながら映画をつくり続ける背景からまず語られる。それは「フィロソフィー」であるという。もちろん独特の意味で用いる語である。「フィロソフィーがまずあってエンターテインメントになる」こと、そのような映画の姿なのだという。それは手塚治虫に教えられ、その他多くの映画人の先人たちから受け継いでもきたのだと考える。
 古い映画にどんな意味があったか、自身が見てきた映画とその意味について語る。黒沢映画でカットされてしまったところにあった本当の意味。小津安二郎が映画にこめたメッセージ。それは、戦争中のほうがよかった、などという逆説的なものであったが、戦後バラバラになっていった家族というあり方を私たちは考えなければならなかったのだ。
 それから晩年は戦争について正面から発言するようになっていった監督であったから、いまが「戦前」だと自覚する若者へのリスペクトが示され、「多くの日本人が戦争を忘れてしまった。そのために次の戦争を手繰り寄せるようにもなっている」と警鐘を鳴らしている。そして娯楽映画のように見える自分の作品にも、どんな思いをこめていたものか、を吐露する。
 続いて第二部として、質疑応答というあり方で監督の考えが綴られていく。まずはフィロソフィーとは何かという、本題の本質的なところについての質問があった。表現者としての映画人が、「ゆるキャラ」になってはいけない、と強調する。それはもちろんひとつの象徴であるが、国民が何も考えず権力者のいいなりになっていくありさまを警戒しているということである。そして「ネバーギブアップ」と「ハッピーエンド」という、アメリカ人が答えた映画への期待も、戦争という場面でそれを考えることの恐ろしさと、それに気づいた映画人たちのことが紹介される。映画の背後にある「フィロソフィー」を感じとってほしい、というのが監督の切実な願いであることが分かる。
 もうひとつ質問は、人生の目標をどうすればよいか、というもの。大林監督は自信の生い立ちを語り始め、戦争をどのように子どもながらに見てきたか、生きてきたか、そしてそれは戦中とか戦後とかいう呼び名は当てはまらず、自分たちは「敗戦少年」あるいは「平和孤児」であるという。その中で自分は映画を観てきたから監督になったのではなくて、実は家にあったおもちゃの映写機で遊ぶこと、いわば映画をつくることから先ず始めていたということを明かす。
 ここで驚くのは、父親のことである。映画好きが高じて医学部ではなく映画を学びたいと言った宣彦さんを、父親は認めるのである。代々医師の家系であったが、父親は非常に優秀な人で、実は医学の研究者になりたかったのを、戦争のために軍医となり、その後は病院を継ぐ必要から開業医になっていた。戦争により進みたい道を奪われていたからこそ、息子に好きな道をめざすことを認めたのだと思う、と綴っている。
 最後に、技術の進歩と映画との関係、とくに映画がただの娯楽になってしまわないかという心配についての質問があった。監督は、映画を観るということは「体験」にり、人間の世界観を変えると言い、ここで花火の喩えが繰り出される。花火も爆弾も、火薬を爆発させて空中で散開させるという点では変わらない。だが、「下から打ち上げて散開させるか、上から落として散開させるかの違い」しかないけれども、それが大きいのだ。「下から打ち上げれば平和を祈る花火になり、上から落とせば、敵を倒す爆弾にな」るのである。いずれにしても、フィロソフィーが必要なのだ。
 大林監督は、明治期以来の戦争を振り返る。維新戦争で勝った側が政府をつくってしまったことにより、後に、「他国を侵略していくことで国の経済を保っていくという誤った道を進んでいくことになって」しまったのだというのだ。戦後、戦争に関する映画が禁止されていたが、「ビルマの竪琴」の美しい映画が出されてから、戦争が間違ったふうに伝えられるのではないかと危惧する。大人のやることは信じていない面があったと自分の世代を分析する。このような名画は、ただのアクション娯楽映画へと移っていくのである。
 自分の好みにより映画を撮るのではない。「自分が伝えたいフィロソフィーを「どうすればうまく伝えられるか」ということを考えて選ぶようにすればいい」と提言する。問題は技術ではないというのだ。「まずはフィロソフィーありき」だというのである。
 自分はあと50年映画をつくりたい。そうして、映画など不要になる時代をこの目で見たい、というのが、本書の絶唱となる。それは、医者のパラドクスのようなものである。医者の目的は、医者のいらない健康で病気のない世の中である。理想が達成されたとき、医者は不要となる。大林監督も、映画は平和な世界が実現して自然の中でゆったり幸せに生活しているようになれば不要になるが、それまでは、「よく効く薬のように人を癒やせる映画」をつくりたい、というのだ。そのために「映画の力を信じて、平和への祈りを少しずつでも刻み続けていく」のが自分の歩みであるのだ、と。
 いよいよ最後のところでは、テレビの情報番組で解説するコメンテーターに苦言を告げている。それは「世界で起きていることを他人事として解説するのがとても上手な人たち」なのだ。「あなた自身はどうするんですか?」と聞いても答えてはくれない。「当事者の立場になって考えることはできない」のである。若い人たちは、そういうところを見て知っている。だから、「大人たちに自分たちの未来は任せられない」と考えるようになったのだと説く。
 他人事としてではなく、自分のこととしてとらえることができるか。動くことができるか。この問いは、極めて福音的である。聖書も、そのように読まなければ全く意味がない。それは難しいことではない。とりたてて大変なことなのでもない。大きなことをなす必要はない。目の前の小さな出来事、自分の身の回りの人に対して、小さなやさしさを実行できるか。ほんの少しの想像力をもって接することができるか。こうしたことについても、大林監督は、子どもたちはちゃんとそれを感じて実践している、と答えるのではないかと思う。そして、映画があと50年つくることができなくても、後継を期待するということ、つまりこのような見方のできる若者を信頼して未来を託すこと、それを次のように歌ってすべてを終える。
 ぼくたちの手で、嫌な世界を居心地のいい世界に変えてやろうじゃないか。
 映画では、平和を引き寄せられます。
 本当にそれができるんだから。
 頼むよ、みんな。




Takapan
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