本

『モチベーションの心理学』

ホンとの本

『モチベーションの心理学』
鹿毛雅治
中公新書2680
\1000+
2022.1.

 曲がりなりにも子どもたちに勉強をさせようとする仕事に就いている限り、このタイトルは見過ごせない。サブタイトルには「「やる気」と「意欲」のメカニズム」とある。そんなメカニズムが分かっているなら、とっくに世界で知られているだろうという反発心もあったが、そこは著者も、そんなものはない、と結論していたので安心する。当然ではある。人それぞれ、違うのだ。だが、およそどういう脈絡が研究されているのか、については、知っていて損はない。その理論に振り回されて、理論が人を支配するようになってはならないが、何かのときに、その背景を推測する知恵となりうるだろう。
 本の帯には、「ほめれば本当にやる気が出るのか?」と挑戦的な問いかけがある。やる気は出るだろう。だが、ほめるだけでよい、というハウ・ツーにすることには反対だ。これは現場での実践から明らかである。人間心理を、どだいひとつのルールでなんでも通用させようとするさもしい心が問題なのである。
 しかし、これは子どもたちをはじめ、部下など、誰かをやる気にさせるためにのみ考慮すべきことではない。ほかならぬ自分自身のやる気のなさに呆れている私のような者にとり、よい知らせとなりうるものを含んでいる。
 モチベーションの研究の歴史は、100年ほどであるという。本書は、心理学で確認されている点を、私たちの身近な現象や情況から分かりやすく入り込み、時に専門的な議論をもちかけながらも、自然に導いていってくれる。時に、心理学の方面で研究されている判断基準などの資料が、時に丁寧に掲載されているのは面白い。素人が使える代物ではないが、どういうものが取り扱われているのかということを教えてくれるのは、親切な設計だと思う。何事も、本当はこうなっているぞ、というものを見せてくれるのは、誠実である。専門用語も、英語混じりに惜しみなく教える。これは、読者が詳しく調べてみたくなったときのきっかけとなりうる。また、それらをしばしば対比的に説明してくれるので、事柄の違いがよく理解できる。著者は、ひじょうに説明が巧いと思う。
 新書としては350頁を越える、なかなかの大作となっているが、専門的な文献表もあり、活用の可能性を広く期待させる。その「終章」には、本書の概観が書かれている。ここだけ読んでも、専門家でなければ理解は難しいだろうが、振り返るのには本当によい。人がモノではなく、機械のように原因と結果で動くものではないという、考えてみればあたりまえのことからきちんと押さえ、「達成」という考えの重要性を、著者としては主張する。それは、願えばできる、できたからこそよいのだ、という単純なものではない。成功は結果として現れはするものの、それだけがすべてではないのだ。
 それでも、私たちはこの世で生きていく以上、何らかの意欲が求められ、それなしだと実際辛くなる生き方に導かれるようである。著者は、doingに偏る社会の考え方が、beingへと目を向けられることに期待しているように見受けられる。この考え方は、キリスト教世界でも近年強調されるようになってきている。「そこにいるだけでいい」「あなたはあなたとして大切な存在なのだよ」といった具合であるが、聖書にはそのような一面がある一方、そうでないように見える部分もある。何事もバランスが必要なのだろうが、だからこそ、そのひとつが見落とされているとなると、警戒しなければなるまい。その意味で、著者が求めたいと願う、「ただその場にとどまり、自分なりの姿勢を地道に保ちつづけようとする姿」が尊いと言えるのであり、その背後には「粛々と「今、ここ」に専心して生きる意欲、いわば「居る意欲」」があるものだとする見方は、少なからぬ人々の助けになるのではないかと願いたい。
 社会は、現実になかなかそのような「誠実さが報われる社会」とはなっていない。著者は、自ら提案したその「居る意欲」をまた、「生活の意欲」とも言い換えて本書を結んでいる。「生活」はもちろん「生命」や「人生」と英語なら同じ語になり、それらを含む概念であるように見受けられるが、私はまた、やはり日本語でいう「生活」という次元への注目は、重要なものであると注目されるべきだと考えている。私たちは、人の成功や偉業には目を向けるが、その人が何を食べ何を着るのか、どんな生活をしているのか、については殆ど興味を示さない。しかし私たちの日常は、まさにそのような生活が実のところ殆どなのであり、何かの業績を実現させた人も、その生活を基盤としてそれをなしたのである。この日常である生活に対して意欲がないとすると、実に苦しいものがあるのではないか。しかし、成功がないものだから生活に意欲をなくしていくという事例が多々あるような気がする。そうではなく、生活の中にモチベーションがその人なりにもてること、それでいいのだという一つのあり方、それを心理学が支えるのだとしたら、このモチベーションの研究は、多くの人を救うことができるに違いない。また、キリスト教も、そのように人を生かす営みをするべきではないか、とも改めて思わされる。信仰のひとつの核心は、確かにこのモチベーションということではないかと、気づかされるのであった。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります