本

『森に願いを』

ホンとの本

『森に願いを』
乾ルカ
実業之日本社
\1500+
2015.2.

 国語の教材で、心に留る物語に出会った。作者は「乾ルカ」と書いてある。エリートぶった少年の心理がよく描かれていたし、その友人が、子どもらしくなく鋭く少年の心理を見抜く様がよかった。それも、ストレスなく分かりやすい描写で、好感がもてた。
 私はこういうきっかけで、作家と出会うことがある。国語の問題文は、いわばお試し読みの場となり、魅力を覚えたら、その本やその作家の別の本へ、首を突っ込んでしまうのだ。
 図書館に本書があった。「星に願いを」をもじったタイトルだろうと思われた。「月刊ジェイ・ノベル」というwebマガジンに、2013年から季節に一つずつ掲載されていたものだという。通勤の電車の中で、一日にひとつずつ読むというペースに適していた。こうした作品は、一日にひとつ味わうというのが私の好ましい読み方だ。幾つも急いで読むのはもったいないというか、感情が入り交じると思われるのだ。
 タイトルの通り、すべての物語は「森」が舞台である。作者は北海道の人であるから、北国の木々がそこにある。舞台は北海道の豊かな自然をふんだんに盛り込んだものとなつている。そこに、「森番」と思しき青年が登場する。話す声がテノール以上の高い声であるということや、細身の長身で180cm以上はあるだろうことなど、いずれの物語でも共通の特徴がある。
 各回、それぞれに主人公が異なり、この森番との出会いの中で、話が進んでゆく。その主人公は、それぞれに大きな問題をひとつ抱えている。そして、何らかの理由で、都市の中にあるようなその森に入ってゆく。そこで森番と出会い、最終的には癒やされる、という展開である。
 概して、その主人公は知能が優秀である。そして、うまくゆかない。あるいは、ひとを傷つける。自分は正しく、ひとは劣っている、というような眼差しをもつ人も多い。この森番のことも、なんだか鬱陶しいと感じたり、頭から見下しているようなことも度々である。
 森番は、その人の心の行き詰まりを見抜いているかのように、草木の世話を頼む。かなり一方的に、それをあなたはしなければならない、というほどに、仕事を手伝わせるのである。しぶしぶ引き受けながらも、森番の鋭い問いかけの中で、自分の姿に気づかされる、ということもある。そしてそれぞれが、人間の心というよりは、魂の部分に差し込まれてくるような力をもっている。それは、光というよりは、刃と呼んだほうがよいようにも思われる。
 一つひとつ、物語をここで明かすことは、例によってしない主義である。だから、私の抱いた見解というものを示してしまうのも、よろしくないかもしれない、とも思う。しかし、こんなことは誰も言っていないようにも見えるので、素人の戯言として、受け流してくださればよいかもしれないと思い、この後綴ってみよう。
 私は、読んでいくうちに、この作家は聖書を知っている、と感じ始めた。人間の罪というものについて、しかも世間の人がちょっと感じることとは異なり、深い魂の罪というところを見つめている、否、恐らく作者自身がそういう罪の思いを強く覚えたことがあるはずだ、と感じたのである。
 それはまた、この「森番」の存在にも現れている。私の目から見て、この「森番」は、イエス・キリストの役割を果たしているようにしか見えないのである。たいていは優しい物腰である。心の傷口を広げないように、柔らかく罪に気づかせたり、立ち上がるように仕向けたりすることが多い。一方、非常に高慢な言い分を一方的にもたらす人物に対しては、かなりズバリと指摘もしている。ただのやわな青年ではない。しかしまた、その人を非難するのが目的ではなく、どんな惨めなところからでも、どんな辛い立場からでも、新しく歩き始めることができるように、導いている。この青年を信用しさえすれば、新たな道が与えられるのである。私は、キリスト教のもたらすものは、そういうものではないか、と日々思っている。その私の信仰観に、この青年像は合致している。
 もうひとつ言えば、終わりの二つの話に、青年の親しい女性が登場する。イギリスのメアリという女性である。母親と呼ぶには少々若いようだが、かけがえのない女性だとして、イギリスから渡ってきたところで登場するという形になっている。そして森番が活躍しないストーリーの中で、森番と同じように、主人公を助け、癒やすのだ。そのとき、森番の父親がもう亡くなっている、ということにも言及される。お気づきだろうか。私は、この女性がイエスの母マリアの位置にいる、と感じたのだ。名前まで「メアリ」である。そしてイエスの父ヨセフは、イエスが宣教するときにはすでに亡くなっている、と通常考えられている。
 しかし、プロテスタント教会の信徒は、普通マリアを出すという発想をしない。このとき私は、作者はカトリックを知っている、と直感した。
 そう興味が湧いてくると、ウェブサイトにそういう情報はないか、と探してみるのが今の時代である。だが、作者がクリスチャンであるという情報は見つからなかった。それどころか、本名も分からないし、高校以前のこともまるで出てこない。ただ、かなり長いインタビュー記事があった。それによると、「幼稚園がカトリック系でそこで発行される絵本を読んでいました」と最初に本人が言っている。信仰の話はないので、接点はもしかするとそれだけかもしれないが、だとすると、幼い頃にその絵本が与えた影響は、こんなにも大きなものかと驚いた。
 そもそもペンネームに、わざわざ「ルカ」とつけているではないか。聖書を意識していない、と断言するのは難しいだろう。そもそも、この本は「森番」が中心となり、悩みを負う様々な人と出会い、それぞれの人が癒やされてゆく物語の連作から成っている。ヨハネ伝の描く復活の場面で、マグダラのマリアが、イエスをせっかく目撃しておきながら、それを墓の「番人」だと勘違いしていたことが記されている。このイエスに出会った者は、一人ひとり、それぞれに復活を信じ、癒やされていった。  私たちは、いまからでも、その「番人」に出会うことができるはずである。




Takapan
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