本

『世界の文字とことば』

ホンとの本

『世界の文字とことば』
町田和彦編
河出書房新社
\1890
2009.12.

 改めて、世界は広い、と思う。
 言語についての差異や系統を説明する本は多々あるようだが、ここでは、文字に注目している。だから、言語学的には系統が違うとされているかもしれない言語であっても、それが使う文字によって、同列に扱われるようなことにもなっている。
 言語についての研究だと、音韻とか語彙とか文法とか、様々な角度から総合的に判断して類似性を指摘することになるのだろうが、ここでは専ら使う文字である。
 文字というのは、その言語を表現するのに好都合であるようにつくられた、あるいは生まれた、あるいは採用されたということになる。まさに私たちの日本語でさえ、いわば輸入品である漢字を用いて表現するのであったし、それで足りないところは、漢字由来の仮名によって表現することになった。ある意味で、すべて輸入に賄われているのである。しかし、その元来の中国語と日本語とでは、言語学的なつながりは薄い。この辺りが面白い。
 使う文字による分類であるから、シンプルである。とにかく、どんな文字を使うか、どんな文字で教育がなされているか、公的なものが記されているか、というところで、言語を捉える。
 これが、実に楽しいことであることが、この本で分かる。視覚的なもの。もしかすると、たんにデザインとしてのみ見ているのかもしれないが、それも許されるのだという気分になってくる。見たこともない文字が各頁に並ぶ。意味を解することのできる文字は実に少ない。となるともはやそれはただの絵なのである。その絵の一つ一つに、その言葉を使う人は意味を感じ、思想をつくり、文化を築いた。あるいはまた、日々の生活を営んでいる。ある意味で、宇宙人と出会うような新鮮さを覚える。世界は広いのだ。これだけ多様な文字があり、多様な感覚がある。私たちが、いくらメディアが発達したと言っても、ふだん外国とか世界とか言って出会う国々や文字、文化というものは、ほんの制限されたいくらかのものでしかないということが判明するのである。
 それらの国の子どもたちは、それらの文字で言葉を学ぶ。まずはそれを覚えることから、人生が始まる。日本でも小学一年生では、まず鉛筆の持ち方から始まり、薄い線をなぞり運筆の練習をするところから始まるし、その上で、上から下へとか左から右へとかいう、文字の書き方の原則を、具体的に書くことによって体得していく。もちろん世界の文字の中には、右から左へという流れで書くものもあるし、一つの文字の中でも様々な方向性で書く約束になっているものもある。
 そんな姿が、脳裏に浮かぶ。それほどに、想像力を刺激する性質があるのも、この本の特色ではないかと思う。
 と同時に、この日本語の欄を見ると、「系統不明」と書いてある。どの言語の流れであるのか、よく分かっていないというのである。これも驚きである。私が当たり前だとして使っているこの言語が、世界の中でいわば孤立しているのだ。確かにそうかもしれないとは思うが、信じられないという気もする。どんな文字でも入り込むことを許容するこの懐が、実は様々な思想や文化をも受容することにつながっているわけだが、そのような文化をもっているはずの日本人が、実は鎖国精神というか、さまざまなことについて排斥的な営みをするのはどうしてかという点も、考えると興味深い。




Takapan
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