『みちづれの猫』
唯川恵
集英社
\1500+
2019.11.
ふりかえれば、いつもかたわらに猫がいた――それは、心傷ついた女性たちが慰められる物語を総括する、本のまとめの言葉である。帯に書かれたそれは、本書のキャッチフレーズでもあるだろう。
ここには、七つの短編が収められている。2015年から2019年にかけて、「小説すばる」などに掲載されたものが集められたものだ。特徴は、「猫」である。どの物語も、猫が関係している。ひとつだけ、生きた猫そのものが登場しないものがあるが、猫のぬいぐるみゆ猫のお面などが大切な役割を担っている。そして、どの物語も、何か疵をもった女性が主人公であるのだが、この猫がいたからこそ、立ち上がり、歩み直すこともできた、という構成を担っている。だから、読んでいて、何か救われるような思いを抱くことができるのである。
唯川恵さんの本を読むのは、恐らく初めてだろうと思う。妻はファンであり、よく知っているとのことだが、私はどうぞお手柔らかに、という気持ちで本を開いた。
最初の物語で、ぼろぼろ泣いてしまった。描写の分かりやすさやその心情の的確な表現も好感がもてたが、物語の展開にしても、伏線の回収にしても、お見事と拍手したくなるほどに、安心させてくれた。納得のゆく終わり方をしてくれるという意味でも、読後感がとてもいい。ああ、だから人気があるのだ、と胸をなで下ろすような気持ちにもなれた。
その、泣いてしまった最初は「ミャアの通り道」である。まだ子どもだった頃、兄弟で、飼ってくれと泣いて頼んだ猫、ミャア。長い年月が流れ、子どもたちは家を離れていたが、ミャアがもう長くないと聞いて、久しぶりに家族が集まる。ミャアは結局命を全うするが、家族の繋がりを取り戻してくれた。
「運河沿いの使わしめ」離婚して生活が乱れていた江美を立て直したのは、茶太郎と名付けた通りがかりの猫だった。が、その茶太郎がどこかに消えた。チラシをつくって探すが、どうやらその猫は他の家の猫だったらしい。茶太郎は、不思議なことに、あるところに行ってその使命を果たしていたのかもしれない。
主人公の女性は、それぞれに年齢も違うし、境遇も違う。ただ、何かしら不安を抱えていたり、心の傷を癒やしきれないでいたりする。そこに、猫が関わってくる。また、その人物像が、過去を淡々と語ることでこちらにも伝わる、という方法もよくとられ、一人の人間が背負っている一生涯のものが、読者にもよく伝わるようになっている。
「陽だまりの中」では、主人公は息子を突然亡くす。夫もすでに亡くなっている。そこへ、ひとりの女性が訪ねてくる。どうやら妊娠しているらしい。富江は直感的に、それが息子の赤ちゃんであると覚る。その女性も不幸な生い立ちで、二人は一緒にそこで暮らすことになる。だが、話はそう簡単には終わらなかった。野良猫が富江の家に立ち寄り、面倒をみていたのだが、その猫たちの様子が、物語の人間たちと、どこかパラレルである。
「祭りの夜に」の主人公は若い女性である。祖父母の許を訪ねたとき、祖母が認知症を患っていることを知った。鞠子のことも別の名前で呼ぶ。だが心は開いてくれて、祭りの夜に、実は会いたい恋人がいるのだ、と打ち明ける。昔好きだった彼と祭りで会う約束をしているのだそうだ。もう60年も前の話だ。鞠子は独りで祭りに出かけた祖母の後を追う。
猫が登場しないと? いや、それぞれに猫が何らかの形で登場する。
「最期の伝言」は、母を棄てて他の女のところに言った父親から、突然連絡が来て、合うこととなった亜哉子だが、そこにいた余命幾ばくという父親に対して、冷たい態度をとる。とくに「不幸にしてしまった」というその後悔に対して、「幸せでしたから」と憤りつつ答える。娘が、お守りにと貸してくれた猫のぬいぐるみを病室に忘れるほど、怒っていた。だがやがてそれが送り返されてくる。
58歳になる早映子は、「残秋に満ちゆく」の中で、軽井沢でフラワーアレンジメントの資格を活かして花屋を営んでいた。そこへ、ひょいと昔の恋人が現れる。もちろん同年代だ。ちょっとした感性の相違に喧嘩をして、別れ別れになっていた。男はかつて、二人のところにいた猫と一緒に去って行った。その後、別の猫になっても、同じ「シロ」という名前をつけていた。
最期の「約束の橋」は、老年になった幸乃は、小さい頃に飼うことを許されたマルという猫に似た猫を偶然見かけ、記憶が過去にトリップする。それから、代々買い続けたいろいろな猫のことを思い出す。そうして、自分がここまで辿ってきた人生を振り返る。淡々と綴るが、一人の女性の一生を私たちは垣間見ることになる。その都度、猫に助けられてここまで来た。「橋の手前にある最後の坂を、幸乃は一歩一歩踏みしめながら登ってゆく。」その幸乃を、愛した猫たちが囲んでいた。
ふりかえれば、いつもかたわらに猫がいた――振り返るのは、空間的に後ろであるばかりではない。恐らく多分に、それは時間的なものだ。一人の女性の過去に、たくさんの背負いきれないものがある。だが、一つひとつそれを受け止めるということも、必要なことなのではないか。もう過去は消してしまうもの、としがちな私たちに、猫たちはそう問いかけているのかもしれない。その都度助けていたのは、そういう猫たちではなかったか。
猫は時折、じぃっとこちらを見つめる。何を考えているのか分からないが、それは何か問いかけているというものなのかもしれないと思う。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド