本

『金子みすゞ名詩集』

ホンとの本

『金子みすゞ名詩集』
彩図社文芸部編纂
彩図社
\571+
2011.7.

 NHK(Eテレ)の「100分de名著」で2022年に紹介されたことがきっかけとなって購入した。僅か5行の「序」を除いて、シンプルに、ただ詩だけが集められている。
 学術的に、あるいは資料的に、何かを届けようという意図はない。文芸部の好みと考えとによって、選び集めただけである。五百余りの詩を全部、なんとか出版したいというみすゞの夢は、本人にとっては果たされなかったが、こうして今はずいぶん人に知られるようになった。報われた、と言えるのだろうか。本人は絶望の中で命を絶っただけだったとしか思えないだけに、それがまた哀しい。
 番組では、松本侑子さんが、新たな視点でみすゞの詩について紹介してくれた。西条八十との関わりはもちろん以前から知られていたが、当時の女性の扱いと戦争への道が、純朴なみすゞの人生を追い詰めていったことがよく伝えられた。しかし、みすゞの心そのものは、死ななかった。自分の中にある真実としての詩が、貫かれていたのである。
 いくつか、よく知られた詩がある。もちろんそれも掲載されている。だが、それ以外のものもたくさんあるわけだから、どうか毎日いくつかずつ、味わって戴きたい。一度にさらさらと読んでいくのは、もったいない。みすゞの世界を、せめて一週間以上はかけて、声に出して捉えていきたい。
 その詩の中には、自分の立場を嘆き、弾かれたものとして辛く思っている様子がよく表現されているものもある。絶望的なものに目を向けているように感じられるものもある。それでも、そのスタイルを、詩という形で表し続けたその思いに、ただただ感服する。
 本人は、辛かっただろう。その辛さがどうしても詩の中にも現れる。それでもなお、詩という世界が、自分自身であるとして、ひたすらそれを描き続けたのだ。うまく立ち回ることのできないその一途さが、健気でもあり、また恐ろしくもあるように感じる。
 それにしても、男性の女性に対する扱いと、戦争へ進む世の中とに、改めて憤りを覚える。私もまたその男性である。私自身の中にも、同じものがくすぶっていることは確実である。いくら建前を言おうと、男性としての恩恵を受けている訳で、みすゞを追い詰めたものを間違いなく私も有している。それを自分で気づかないからこそ、問題なのである。冬至の男性もまた、自分が悪いなどとは考えてもいなかったことだろう。女性としてみすゞは、それに逆らえなかった。不幸な結婚生活は、ただ相手が悪かったというだけではない。その病気も、境遇も気の毒で仕方がないが、法的に最愛の娘を奪われることとなったことで命を絶つことになったことを、特定の個人のせいにする子供できないだろう。
 いまの世にも、みすゞがいる、という想像力を働かせる必要があるのだ。どこかに、同じように、不条理に苦悩し、命を削っている人がたくさんいる。男女の問題に限らず、純粋な心を何かに向けながらも、酷い目に遭っている人がたくさんいると思うのだ。また、その人たちを酷い目に遭わせている一端を、私がまた背負っていること、加害者であること、それを想像しなければならないと強く思っている。時代はあまりにも無責任だ。
 明るく考えるのが「信仰」だと勘違いしている信仰者もいる。楽観的に、危機感を懐かない事こそ「信仰」だと無邪気に喜び、多くの人を苦しめ、追い詰めているという構造をなんとかしなければならないと私はいつも思っている。信仰者が、あるいは教会が、そのことに気づかねばならない、と。
 みすゞ個人を、私たちがいま救うことはできないが、みすゞが遺したものが誰かを救うきっかけになるとすれば、私たちのせめてもの償いになるかもしれない。私たちは、いま隠れて見えないみすゞを想像し、あるいは探していく必要があるのではないか。詩を一つひとつ見つめていく中で、そうした心を起こされていくのを私は覚えた。そのように感じる人が、増えていくことは望めないだろうか。




Takapan
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