本

『見る』

ホンとの本

『見る』
サイモン・イングス
吉田利子訳
早川書房
\2730
2009.1

 なかなか読み応えのある本である。サイエンスライターの著作は、そういうものなのだろう。本の最初に、美しい写真がいくつか備えられているけれども、本書には図版は至って少ない。どうしても示さなければ伝わらない事項についてのみあるという程度で、殆どすべての情報を、文章によって伝えようとしている。図示に頼らず、言葉で事態を伝えようとしているわけであるから、その意味でも、読み応えがあるということになる。
 とにかく、視覚に限った叙述である。そこからブレない。いったい、視覚とは何か。見えるとはどういうことなのか。光がレンズを通して網膜上に像を結び、視神経によって脳に伝えられる――中学校の理科の時間であれば、それで十分なのかもしれないが、生き物はどうやって「見る」ということを得たのか、いやそもそも、生き物たちにとって、「見る」とはどういうことなのか、見えるというのは何をもたらしたのか、あるいはまた、どうして「見る」ことができるのか、私たちは改めて考えてみれば、疑問が尽きることがない。
 最初は、軽い気持ちで読んでいた私も、次第に身を乗り出していく。いったい「見える」というのは、どういうわけなんだろう、と非常に哲学的な姿勢にさせられていくような感じである。
 もちろん、これは哲学書ではない。科学の本である。あくまでも正確なデータで事実に基づき、そしてそれを検証する実験などを出してくるのでなければ、始まらない。ひとつひとつの疑問が明らかにされていく行程は、スリルいっぱいだ。
 最後に、科学者ドルトンの話が挙げられる。色覚に問題があった彼は、貴重な証言をなしているという。しかし、当時そのメカニズムや原因などについては、全く分かっていなかった。そもそも人それぞれが違う色を見ているのに偶々同じ色名で呼んでいるためにその感覚の違いに全く気がつかないというのは、想定される事態であるのだが、それにしても、見えにくい色というのは確かにあるもので、これは現代社会でも、もっと気を払われてよいことであろう。この問題は、私も個人的に関わっている事柄でもあるゆえに、興味深く読んだ。ドルトンのこの経緯については、今まで知らなかったので大いに参考になった。
 本でも触れていることだが、いくらかの栄養の不足によって、視力を失う子どもたちが世界に大勢いるというのは、悲しく聞こえる。見えないことが不幸そのものだという偏見をもちたくはないけれども、それでも、見える人がわざわざ見えなくなるのを黙って「みて」いるのも辛いものである。今目の前に見えていないことであっても、私たちは見る務めを果たさなければならないのではないか。そのためには、見えないものを見ようとする意志も、必要なのではないか。
 表紙のカエル君の写真に惹かれて手にとってみた本であったが、たくさんの刺激を受けることができた。




Takapan
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