本

『やってあげる育児から見守る育児へ』

ホンとの本

『やってあげる育児から見守る育児へ』
藤森平司
学習研究社
\1575
2004.6

 男親として、私はこの本の視座に共感を覚える。
 どうりで、著書は男性であり、しかも、経歴を見て驚くが、保育の専門家一途というわけではないのである。建築を学んだ後、小学校教諭の資格を得てその仕事をし、後に保育園を開設する。そうして、保育環境研究所を設立し、保育園園長として現場に立っているというのである。
 サブタイトルで「今、問われる親子の距離感」と謳っている。
 子どものためと口では言いながら、結局自分の都合ばかりで考えるのが私たちにありがちな態度である。それを諫めつつ、しかし妙に説教臭さがない。親が始終手出しをするのは、逆に自分が不安な証拠であるというのは、私もずっと感じていた。子どもに任せて見守ることができるのでなければ、親とは言えない。親は、子どもの操縦係ではなくて、ただ子どもを預けられた役割に過ぎないようなものなのだ。――少なくとも、私はそのように考えていた。
 親の思うとおりにならなければという焦りから、虐待は起こる。周りの視線と期待に応えなければという焦りから、虐待は続く。そして、それを逃れた親は、放任主義と無責任な非難の声に晒される。そんなことはないはずだ。まさに、タイトルのように「見守る」というのが、親のなすべきことである。放任とは違う。
 写真やイラストをふんだんに取り入れて、読みやすく編集してある。その分、活字としての情報量は削減されている。だが、中身が薄いという感じはしない。どこか控えめな表現の中に、この著者のたしかな自信と願いのようなものがこめられているように、私には感じられる。
 幾人かの事例やエピソードがコラムとして時折清涼感を与え、最後にはたたみかけるようにアドバイスが並ぶ。そう、ゆっくりと着実に、見守る教育の効果を伝え知った者にだけ、沢山語ってしかるべきなのである。なるほどと最後のほうまで読んだ読者に対しては、次々と持論を展開して見せることが許されるであろう。
 地味ではあるが、強烈な批判の眼差しももっている。いわゆる「心の教育」に対して、思いやる心や命については、教育で教えられるものではない、とはっきり述べている(31頁)。
 事件を起こす子どもたちへの憂慮も含めて、だがそれらに対して必要以上に詳しく実証的に語るわけではない。読者は納得するだけの材料を提供すると、その後はもうくどく説明しない。このやり方自体がまた、「見守る著作」として、読者が自立的に自分の判断で読んでいくことを見守っている、という意味で考えた私は、やや捻りすぎだろうか。いや、著者はきっとそこまで考えていると、思うのだが……。
 やたら専門的ではない分、誰が読んでも役立ち、影響を与えうるゆえに、つねにそばに置いておきたい本である。
 しかも、酷評した『泣く』とは異なり、この本は、「お母さん」だけに語るようなところはない。「親子の距離感」というサブタイトルはそのまま、「親」としてのみ本文で活かされている。父親と母親の特質や役割を述べるときには区別するものの、概して「親」としてどうすべきかに関してのほとんどの叙述において、父親と母親とを差別して語るというところがない。それだけでも、私にはたいそう信頼のおける著作だと感心したのであった。
 小学校の保護者会からのアンケートに長い文章を返事として応えた私が、そこに記していたようなことは、後から読んだこの本に多く書かれていたような気がする。まるでこの本の受け売りで回答したように見えてしまうかもしれないが、この本は、それより後に書いたものである。その文章については、「テレビゲームが悪いのではなく」に掲載している。




Takapan
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