『みことばに生きる 聖書は妙なる生命の書』
中島秀一
真菜書房
\1800+
1999.5.
とても地味な説教集である。ふとこの著者について知るところがあって、関心をもった。関西聖書神学校というから、私とのつながりがないわけではない。日本イエス・キリスト教団の教会の牧師である。教団や神学校の要職も務めた方だ。どんな説教だろう、と少し期待した。
しかし、思っていた説教集とは少し違った。「あとがき」によると、説教をテープ起こししたものを、と考えたのだが、「時間的な制約」のために、既成の説教養子を採用することにしたのだという。
そう。本書に収められているのは、説教要旨である。
確かに筋道は分かる。だが、レジュメだけで1冊読むというのは、少し辛い。語りかける言葉の波というものがなく、プログラムだけが目の前にある。
ここには、牧師の信仰の証しがある、と理解してつくられたらしい。
日本イエス・キリスト教団というと、いわゆるホーリネス系に属し、「きよめ」を重んじる。信仰の体験が重視され、聖霊に満たされるという経験を大切にする。こう言うと、知らない方からすると、神秘主義ではないかと思われるかもしれない。しかしそれは、ペンテコステ系との混同であろうし、ペンテコステ系とて、神秘的というのはまた少し違う。ともかく、ホーリネス系は、私からすれば当たり前の信仰を伝えるグループである。
最初には、「推薦のことば」がある。本田弘慈先生だ。懐かしい。それによると、著者は、沢村五郎師や小島伊助師、そして森山諭師と関わっているという。これだけでも、蒼々たるメンバーに学んできたということが分かる。17歳でキリストの救いに与り、19歳で献身し、23歳で伝道者の任命を受け、28歳で按手礼を受けて牧師になったのだという。
テーマは「みことば」ということで、それに「生きる」とか「喜ぶ」とかタイトルで分けられて編集されているが、あまりはっきりと区別されているようには見えないので、とにかく一つひとつを味わってゆくとよいと思う。
最初の方では、箇条書きのようなところが多く、本当にレジュメという感じであったが、途中から、文章形式でつくられていて、ショート・メッセージという印象も与える。内容には、聖書の出典がきちんと示されているから、気になる場合には実際に聖書を開いて確認することもできる。そうなると、これは私の感想だが、信徒の集まりでの学びのために、一回にひとつずつ用いるというと、有意義であるかもしれない。時間次第では、一度に二つあるいは三つを選んでもよいと思う。礼拝後の学びや研修にもよいのではないか。
その信仰は、安心して受け容れることができる神と出会い、神と共に生きてこられた方の語る言葉である。口先だけの思いつきとは無縁な、しみじみと自分の中で恵みを噛みしめた方だからこそ綴ることができる内容であると思う。
途中、「聴く」という項目では、教会暦に従った様々な機会でのお話が並び、その都度取り上げて学ぶというのはどうだろう。
それにしても、この「みことば」にどうするというタイトルは、そこだけ眺めていても恵まれる。「従う」「燃える」「導かれる」「学ぶ」といった具合である。このうち「導かれる」が、事実上の証しであり、信仰生活や教会の歴史を綴った内容になっている。燃えるような説教の心を感じるのもいいが、それに先立ち、案外この「導かれる」を先に読むことによって、著者の足跡を知ることができるだろう。そうしておくと、それぞれの説教要旨が、聴き取りやすくなるかもしれない。
そういうわけで、これは語りかける説教集というふうではないかもしれないが、一つひとつの短いメッセージは、日本イエス・キリスト教団の信仰の本質的なところが鏤められたものとなっているように思う。ここから学ぶことにより、私たちもまた「みことばに生きる」歩みを、喜びつつ続けて行けるのではないか、という気がする。

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