本

『みかづき』

ホンとの本

『みかづき』
森絵都
集英社
\1850+
2016.9.

 学習塾を舞台にした、数十年間をたどる物語。ストーリーテラーとして名高い森絵都さんによる、新しい試みである。かなり長い小説となっているが、読む分には決して長々とした印象はない。決して簡単な叙述ではないとは思うが、すっと読めて誤解なく読み進められる。このあたりが、巧いと思う。
 若い「用務員」の男が、小学生の勉強の疑問に応えて評判になる。しかし、よろしくないことで退職に追い込まれるが、その教える才を買う、年上のある子の母親が、その男を抱えて学習塾を始める。まだ塾という言葉すらまともになかったような時代であり、政治的にも世間的にも、塾などというものが認められるはずもなく、異端的で呼ばれざる存在として非難されていた時代であった。
 やがて二人は家庭をもつようになる。その娘たちの人生が、そこに反映されていき、展開する塾の事業の浮き沈みも描かれていく。
 このようにして、物語は三代にわたり進んで行くのだが、私はやはり読みながらずっと疑問に感じていたことがある。章分けの目印に三日月(裏の三日月のデザインであったが)がデザインされているのはよいとして、そもそもこの物語で三日月なるものが何を意味しているのか、ということが見破れないでいたのである。「月」は、ほのかに匂わせている。しかし、それがタイトルにあるように「みかづき」でなければならない理由が分からない。
 そうやってとにかくストーリーに乗せられて最後まで読むと、ようやく分かった。本当に最後の最後に、オチであるかのようにして、「みかづき」の意味が明かされる。もちろん、この場でそれを明かすつもりはないが、物語全体を照らす意味を有しており、思わず頷いてしまった。
 学習塾の表も裏も、私は知っている。しかしそれは、進学塾と補習塾とに大別され、そのどちらもを欲張ったり、中途半端な立場を保とうとした塾は、次々と淘汰されていくことになった。それは小売ビジネスとさして違いのない情況である。およそ業界人でなければ知り得ないようなこと、また描ききれないようなことがあっただろうにと思うが、私の目から見てもひどく不自然であるように思われるということはなかった。それは、巻末の参考資料の提示に納得がいくものであった。そう多くの書物がそこに並べられているわけではないが、なかなかよく勉強してあると思ったし、これだけ参照して、あとは現場で取材を少ししていけば、確かに描けない世界ではないと思う。しかし、それでもまた、読者が一読してすんなり事情が掴めるのかどうかというと、これは生半可な課題ではない。やはり、語る才の豊かな人かもつ賜物であると言えるのだろう。
 読者層は、やはり大人である。子どもが読む本ではない。また、教育に関わる人はぴんとくることが多いだろうが、自分が小学生の子をもった経験のある人ならば、かなり読みやすいことだろう。全く子どもとの接触がないような人であっても、私はきっと興味深く読んでいけると思う。それほどに、程よい説明がふんだんにあり、またよく描かれていると思うからである。
 あるいはまた、物語がほぼ現代に至って完了していることからしても、今後の日本の教育世界、そしてこの国の行方そのものについても、どういう見通しが立つものなのか、その一案を訴えているとも言えるであろう。その意味で、過去を振り返り、未来を予想するために、またその未来のためにいま何を私たちが子どもたちに対してしなければならないのか、そんなことも考えさせてくれる本であった。もちろん、かといって説教臭いわけでもないし、何かしら一定の意見を読者が抱かなければ意味がない、などということもない。世に問うた作品は、もうすでに読者の手に運命を委ねている。あとは、読者や社会が、それをどのように現実を生むための声とできるかどうか、である。
 単に小説を愉しめばそれでよかったのだろうが、子どもたちに何を教えていくとよいのか、そんな問題意識をもつためのひとつの道にでもなればいいが、と私は思った。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります