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『免疫・「自己」と「非自己」の科学』

ホンとの本

『免疫・「自己」と「非自己」の科学』
多田富雄
日本放送出版協会NHKBOOKS912
870\+
2001.3.

 多田富雄氏の本に触れ、さらに分かりやすく書かれている本があると聞いたので探したのが本書である。NHKのシリーズとしても、親しみやすいタイプのものであることには違いない。が、決して生やさしくはない。最先端の科学である。さすがに数式やデータを並べているということはないが、用語だけでも戸惑うほどである。しかし、図も多いし、繰り返し説明がなされるので、どうにか読めるとは思う。いや、これだけの内容を読者にここまで近づけてくれるという、筆者の力量たるや、驚くべきものであると言ってよいだろう。
 テーマは免疫である。但し、なんとなく免疫と言っても読者は掴みにくい。そのままだと、ワクチンの話なのかと思ってしまう。本書は、その免疫の働きについて、自己と非自己という角度から徹底的に語るというものとなっている。
 そのため、若干哲学的な議論に走るのかと思ったら、そこはやはり立場を弁えるというか、己れの分を果たすというか、非常にバランスのよい著書となっている。
 つまりは、その「自己」なるものが定義できないのである。その体の細胞一般に共通している立場を自己とでもいうほかないのであろうが、私たちが哲学において考える、たとえば「自己意識」というようなものとは無縁な世界がここにあるわけである。だがまたそれは物質的な反応と決めてかかるのもおかしい。細胞は物質的な反応に基づく決定論敵な仕草をとることはないのである。
 この自己ということについては、細胞が攻撃を仕掛けるか仕掛けないかによって、保たれているようにも見受けられる。自己に対しては攻撃をせず、非自己に対しては徹底的に排除するはたらきを始めるのである。このはたらきが、免疫にほかならない。
 それは、伝染病という現実の中で見出された。この契機はやはり押さえておかなければならない。読者の多くは既知のことであろうが、これを通しておかなければ、以下の話が全く通じないこととなってしまうだろう。
 実際ワクチンというものも考案されたし、人間そのものに自然免疫といって、個性的な反応の程度というものがある。アレルギーのように非常に敏感に反応する免疫機能もある。こうして、次第に専門的な議論が持ち出されてくる。ここは学者としての筆者の本文であろう。次第に筆が乗ってくる。
 ここで個人的なことを述べるが、テレビアニメで「はたらく細胞」というものを見てから、私はこうした分野についてだいぶ新鮮な知識を得た。実にすぐれた作品であり、すべての細胞を擬人化した上で、そのはたらきをストーリー仕立てで、しかもかなり正確に描写している。なにより心にしっかりと細胞の機能が刻みこまれて、忘れることがない。もちろん完全にそのはたらきを説明するものではないし、物語として見せるために極端な表現もとってある。また、擬人化にも限界があるのは確かだ。原作のコミックスの作者は、生物学者などではない。ただ高校程度の知識を基にして、学びを加え、監修も仰ぎ立派な作品に仕上げているのだという。
 このアニメがあればこそ、本書はかなり楽に読めたと言ってよい。好中球の勇ましさやマクロファージのお姉さんの姿、T細胞の力強さなどが頭にあるので、説明も図解もついていけるのである。私は推測だが、「はたらく細胞」の作者は、多田氏の本を読んで細胞のことを学んだことがあると思う。「これらの細胞は……最終的な目的は知らずに、ただ、それぞれの細胞に決められている仕事を行なっているに過ぎない」(p186)のような記述を見ると、「はたらく細胞」の描く世界観そのものであると言わざるをえないからである。
 元に戻ろう。『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)は、雑誌への連載だったせいもあり、出来事が回想であったり、生物学の歴史を繙くようなリアル感があったが、本書は必ずしも生物学の歴史を説明しようというわけではない。自己とは何か、しかし多様性に基づき生存する細胞たちが、非自己の侵入に対して激しく闘う様子、そのシステムを明らかにしようとする。
 しかしここで難が起こる。これは非自己だ、と判断して、自己の細胞を攻撃することとである。まさに同士討ちとでも言うべきなのかもしれないが、自己を誤って非自己と見なし、攻撃するのである。
 本書発行時には思いもよらぬものであっただろうが、私が本書を読んだのは、新型コロナウイルスの感染拡大の後である。徒に恐れたり、ワクチン信仰に狂気だったりした様子は記憶に新しいが、さてこの新型コロナウイルスはどのようにして人を死に至らしめたのであろうか。これが殆ど報道されていないように思える。このウイルス自身は、さして強いものではない。確かに感染力は強いが、ウイルスそのものが強力であるとは言えない。ただ、細胞指令を狂わせ、自己を非自己と思わせることで、私たちの体が自己破壊を始めるのである。
 このようなシステムを、本書は説こうとしているのである。
 なにも新型コロナウイルスに限らない。もっと身近な場面で、自己を非自己として攻撃する事態もあるし、攻撃しないように寛容に振る舞う場面は多々ある。そもそも女性が胎内に子を宿すということは、非自己を内にもつのであるから、いかにも神秘的である。異なる血液型ですら、パスする働きがあるのである。
 また、癌という敵に対するためにも、この免疫の機能を用いて癌細胞を無能にすることが医学的に期待されているものの、さて、それが本当に医学の行き着くところなのかどうか、問わなければならないはずである。こうなると、ただの免疫学でもないし生物学でもない。やはり哲学的な問いであり、思索へとつながっていくだろう。多田富雄氏は、最後にちらりとであるが、そうした視点をここにも明らかにしている。他の本でそうした面を詳しく扱ってはいるものの、免疫を考えたときに、どうしてもその先に考えていかなければならない問題が、ちらついて仕方がないのである。そしてそれを考えなければ、免疫というものを知る意味もないのである。
 人類のあらゆる文化において、この免疫のシステムの働きとパラレルに理解できるものがあのではないか。自己と非自己という構造は、別の言葉では、自己と他者という問題で非常に重要なテーマとなりうるものでもある。これら細胞の機能を踏まえた上で、もちろん病気や健康のために必要とする人のために役立ててほしいと共に、そもそも人類や生物全般、地球全体といったあり方の中で、物事を考えるためのベースにしたいものだと思うようになった。かねてからの自我論などでは全く気づかなかった、大切な思考や発想が、そこにあるはずだと私は考えている。




Takapan
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