本

『カリスマ校長の"名作の感動"を子どもとじっくり味わう本』

ホンとの本

『カリスマ校長の"名作の感動"を子どもとじっくり味わう本』
小川義男
青春出版社
\1365
2004.9

 副題によると「こうすれば本好きな子に育つ」という。
 だが、その「こう」というのが、あまりよく伝わってこなかった。著者は、それを書いたつもりでいると思う。その意図が全く理解できないわけではない。ただ、すでに教育現場という一種の信頼関係が成立した後に拘わる「校長先生」ができることと、家庭でオロオロしている親、あるいはこれからその信頼関係を築かなければならない教師が、その通りにできるという保証はどこにもない。教育がただの理論でなく、人格同志の触れあいに基づく部分があるとすれば、その点で本好きにするためのノウハウということには、なかなかなることができないのではないかと思われた。
 早い話、親が本を読まない家庭で、子どもを本好きにするのは困難である。ありえないとは言わないが、困難である。親が本に浸る姿を見ている子どもは、本にも自然に触れていくだろう。親が本を手に取らず、テレビのバラエティに笑い続けるばかりの家庭で、子どもを本好きにするのは、木に縁りて魚を求むようなものであろう。
 家庭というよりも、国語教師に宛てたメッセージであるとすれば、かなり参考になる。昨今の言葉に対する意識の欠如や、戦後民主主義への不満など、老齢の著者の心配や憤りのようなものが、ひしひしと伝わってくる。
 暴力的なもの、あるいは体罰の肯定の思想が時折見られるのは残念だが、著者の言葉に対する嘆きは、私にも理解できないことはない。あまりに若い世代の言葉を軽視しているのかなと思われることもあるけれども、その心配は必ずしも杞憂だけには終わらないような気もする。
 だから、この本は、言葉に関する現代の危機的状況を批判するものとして読んだほうがよいのではないかと思う。
 ちょっと不味いなと思われる部分もあった。一部、性的な描写を不必要に長く取り上げたのは、不味かった。これがなければ、この本全体を、そのまま中学生や高校生に読ませることができた。何もあそこまで露骨に書かなくても、十分意図は伝わった。
 だから、学校や塾の国語教師へ伝えておきたいこととしての役割を果たすべく、この本が記されたと了解しておくことにする。
 蛇足ながら、45頁で、旧約聖書が「はじめに言葉があった」と述べている旨記されているが、これは明らかに間違い。新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭である。「カリスマ」という、聖書に基づく言葉をタイトルに付けたくらいだから、聖書の引用にはほんのちょっとでいいので注意をして戴きたかった。




Takapan
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