本

『メルヘンの知恵』

ホンとの本

『メルヘンの知恵』
――ただの人として生きる――
宮田光雄
岩波新書882
\735
2004.3

 政治学者としてというよりも、クリスチャンの一人として、著者・宮田光雄氏のファンである。
 これまで各地の講演や教会での説教(というよりやはり講演なのだろうが)で語られてきたことをいくつかまとめた本である。童話の題材は4つ。いわゆる『はだかの王様』はアンデルセン、ほかにグリム童話から3編選び、それぞれについて、著者がその物語の端々の背後にある考え方や思想を説明してゆく形でできている。
 大人によると、童話の読み方一つとっても素直じゃない。はだかの王様の話で、王様や国民を騙してまんまと金をせしめる機織りたちは、果たして悪人なのか。子どもの目から見れば悪人である。しかし、大人になると、虚像に囚われた王様や国民をその蒙昧から解き放つ役割を果たしていると読めないこともない。幻想さえ許さない現実主義もありうるでしょうが、嘘なしでは、人生突破できないものがある。著者は、ナチス・ドイツについても詳しい研究をなされている方である。随所で、ナチスのケースと比較して述べられていることがある。たとえば、幻想なしには、そこでは生きられなかった、というように。
 鳥は、メルヘンにおいて「高く飛翔する精神の世界」を代表しているという。金の鳥をからだに取り入れることで冒険に出ていく兄弟の物語についての説明が長い。メルヘンを、解釈しすぎと言われるかもしれないが、たかが童話と思っていた中に、深い含蓄がふんだんにあるということを、私たちはこの本から学ぶ。どうりで、スタジオジブリの映画が支持されるわけだ。どの映画でも皆、空を飛ぶほどに、制作者が飛ぶことを好んで用いている。そこに、隠された狙いが意図があったわけだ。
 最後の死神の話も面白い。死を恐れない愛の姿が描かれる。それってあるかも、という気持ちになってくる。
 そうして著者の本領が、最後の数頁で展開される。死神の話から、神への信仰の話がまとめ上げられてゆくのである。
 おそらく、教会でこのような話をした場合、聖書の言葉につなげて話を結ぶということが多いはずである。限りある時間という人生の問題は、そうでなければ明日やればいい、の連続になり、今それをしなければという意識を失わせるのだという。言われてみればそうだ。私の中の大きなテーマがまたここで解決されていく。
 メメント・モリという言葉は「死を忘れるな」という程度の意味だが、哲学者も多く取り上げた。しかし、これをメメント・ドミニと変換すると、主を忘れることなかれ、の意味こそ考えなければとさせる。こうした流れの中で、本は最後に、いのちの問題に流れ注いでゆく。
 少年犯罪が報道されるたびに、命の教育が必要だと政府はとなえる。だがそれは、臨床心理士を呼ぶことか、または心のノートふうな解決を考えるかのような結論しか導かない。命の教育は、たとえばこういう本から学ぶのである。そして、どこか自分の手足が夢の中に浮いているような感覚をお持ちの方がいたら、地に足をしっかりとつけた考え方で確信を持ちたい。著者はそのためにか、聖書が人生とはどうだと語っているかを喋り始める。すっかり最後には、聖書の宣伝になっているのだ。いや、もしかすると、聖書を使って、神からのメッセージを明らかにするということになろうか。
 こうした背景を意識しながら童話を読むと、かなり違った風景が頭の中に浮かんでくるということがある。それに気がついたなら、著者は思わず口元に笑いを浮かべることだろう。




Takapan
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