本

『ある日突然、慢性疲労症候群になりました。』

ホンとの本

『ある日突然、慢性疲労症候群になりました。』
ゆらり
倉恒弘彦監修
合同出版
\1400+
2019.4.

 めちゃくちゃ可愛い絵で全編通してある。くまさんが主人公で、うさぎさんやひつじさんも登場する。実はぞうさんもある形で登場する。
 病んでいるのはくまさんである。これは、著者自身を表している。その状態や感覚の描写の真実さは、陥った当人でなければこうは表現できないであろう。
 タイトルからはっきりしてはいるが、物語の展開上、慢性疲労症候群だということがはっきりするのはずっと後である。というより、その診断がおりて、当人はかなり救われるのである。それまでは、いわば誤診が続き、また理解されない状態が続き、身体的精神的に苦しいのみならず、病状が定まらない苦しみに苛まれていた。そこでまだよかったのは、比較的周りに、理解してくれる人がいたことである。著者もそのことは後で別の関係から口にする。援助の制度において、自分はまだ恵まれていたのだ、と。後から同様の人がいることを知り、その人々が障害として認定されないことから、それが分かってくる。いくらかでも、社会、そして他の人々に目が向く限り、まだ助かっているのかもしれなかった。
 それほどに、からだがもう自分のものでない感覚で、肉が骨から剥がれていくような気がしたり、沈み込む感覚と不眠や過眠という不自然なリズム、ひとが何を言っているか分からないとか、からだが煮とけていくような感覚に襲われるとか、深刻な経験が描かれていく。すべて可愛い絵で描かれるところに、まだ見ていて読者としても救われるのだが、逆にいっそう深刻であるということも伝わってくる。いや、それは読者次第というところか。私は、動悸がするほど痛くこれを読み、ずっと苦しかった。それでも、私はこの症状が出るわけではない。それでも、自分のことであるかのように、苦しく、辛い。
 体験はないけれど、その辛さについては共感を覚える。もちろん、目の前にこの人がいたら、過干渉はできないが、放っておくこともできない。ただただ話を聞いたり、かける言葉を探したりしながら、様子を見て時を共に過ごすのではないかと思う。こちらの安心のためにさっさと何かを結論づけて、がんばってね、なんと言葉を捨てて出て行くようなことは、私にはとてもできない。
 臨床の現場におけるケアについては、心得がないわけではない。それだから、実は最後にこの本に載っている付録のような対応例の頁には、悉く肯くのであった。ここのところだけは、さすがに分かる。そこには、「やすらぐお言葉たち」と「残念なお言葉たち」が並列されていて、それらは、著者の個人的な感想だと言ってはいるが、私の知る限りのケアの基本と、私自身の中から絞り出る知恵とから言っても、全くその通りだと言うほかない実例の数々だったのである。
 重苦しいマンガである。幾度も繰り返すが、この絵の可愛さと内容の苦悩とが、もしかすると多くの人に読んでもらえるためにもよかったのではないかと思うし、これが描けるということが、著者にとり何らかの明るいきっかけとなっているのではないかということは強く思う。ただ「疲労」としてのみ見ないで理解してほしい、そして慢性疲労症候群というものに関心をもってほしい、という切なる願いを著者は最後に述べている。少なくとも私にはそれは多く伝わったと理解してください。なにも助けにはならないのだが、こうしてまた微力ながら宣伝させて戴くことで、誰かの目に触れて、この本を手にする人が増えてくれたらと願う。
 医師の監修もある。でたらめなことは描けない。何よりも著者の真実の体験がここにある。生々しい人間の絵でなくてやはりよかったと思う。そして、可愛い動物を愛でる気持ちで、この病と闘っている人たちにももっと近付けたらいいと思う。私は図書館の本で読んだので、著者には申し訳ないような気もするが、その分、こうして機会があればこの本の素晴らしさと必要性とを告げていこうと思っている。実際に会ったら、ただ微笑んでいることしかできないかもしれないのだけれど。




Takapan
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