本

『漫画の奥義』

ホンとの本

『漫画の奥義』
手塚治虫・石子順
光文社知恵の森文庫
\680
2007.12

 マンガの「おうぎ」と読む。「おくぎ」とは読ませていない。漫画の世界の巨人が、めったに見せない漫画についての深い思いを吐露した。
 対談そのものは、1975年から1988年までの間にとりおこなわれている。1992年に単行本化したものの文庫化でもあり、より多くの人の目に触れることになるだろうと思う。
 およそ戦中戦後の漫画史の網羅のような観すらある対談となっている。描き手としての手塚治虫は、また読み手としても巨人であった。一生を漫画原稿と共に過ごした人が、よくぞこれだけの鑑賞をしているものだと驚く。いや、多くを吸収している者でないと、生み出すこともできないというりが理屈だから、他人の漫画もまたよくご覧になっていたのだろう。映画については、発想の原点であると言えるのかもしれない。漫画のコマに映画的手法をふんだんに使った手塚の漫画は、今でこそ当たり前のように思えるかもしれないが、実に新鮮で読みやすいものである。また、歴史や文学、宗教に対する深い洞察は、生半可な勉強によっては身に付くこともない。どれほどの時間をかけ、どれほどの深い学びをしているか、想像を絶するものがある。医学の知識はもちろん、昆虫への情熱など、人間の考えるあらゆる事柄に対する興味を生涯失わなかった人である。
 もちろん、時代的な制約もある。手塚の漫画論が普遍的なものだとは言えない。この対談でも、自分はそう思う、という謙虚な姿勢を崩すことがない。自分の好みや自分の視野で語る場面を、自身が自覚することの大切さを、読んでいて学ぶ思いがする。
 4期に分けた対談を、テーマによって並べており、対談の時間順ではないが、よい構成になっていると思う。また、対談というよりも、石子氏が述べているように、手塚から引き出す役割に徹しているために、手塚の考えがふんだんに零れていると思われる。この聞き手という立場での対談により、ますます魅力ある対談に仕上がっている。それに、この聞き手の知識のまた豊富なことといったら、驚くばかりである。人にものを尋ねるときには、どれほど聞き手が準備をしていなければならないか、思い知らされる。聞き手の学びや知識の量と質、そして対談に対する謙虚な姿勢が、その対話を魅力的なものにしていくのである。
 手塚治虫は、1989年2月9日に亡くなった。昭和の終わりから一ヶ月後、まさに昭和を過去にするような出来事であり、新聞には何段抜きかで「巨星墜つ」と書かれた。この言葉しかない見出しだった。
 感動というのは、感傷的なものではない。その後ずっと強迫観念のように心に残り、それが自分なりの行動を始めることにつながっていくものでなければ、真の感動とは呼べない。――そんな意味のことが、272頁から述べられている。私の心に残った言葉であるが、まさにそれを行動にしていかなければ、感動と呼ぶに値しないことになるのだろう。




Takapan
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