『超訳マンガ 国語で習う 名詩・短歌・俳句物語』
学研プラス
\1800+
2021.1.
分厚い。あと数頁で500頁となる。しかもやや厚手の紙を使っているので、本全体の篤さが35mmに達している。最後の5頁に、三段に分けた中で一人10行程度、それぞれの作家のプロフィールが文章で紹介されているほかは、全編マンガである。それも、カラーである。コマも大きく、読み進むという意味ではどんどん読める。それでも、500頁ほどあると、簡単には終わらない。まだある、もっとある、と一人分を読んでもなお、次から次へと新たな人物が目の前に現れるのであった。
選ばれたのは29人。詩・短歌・俳句とジャンル別に並べられているため、必ずしも時代順ではない。後から出てくる、俳句の松尾芭蕉や小林一茶、与謝蕪村あたりが江戸時代になるほかは、明治期と大正期が中心であると言えようか。従って、学校の国語で文学史として覚えなければならない名前が、近代に限れば、多くここに現れると言ってよい。もちろん、小説家となれば、ここにはない夏目漱石や森鴎外など、たくさんの人物を扱う必要があるだろう。だがこれは詩歌に限られている。とはいえ、俳句集のある芥川龍之介はここに取り上げられている。
短いものでは一人あたり10頁であるが、松尾芭蕉のように40頁を超えるものや、冒頭の金子みすゞが60頁を超えているという場合もある。金子みすゞの場合は、その不幸な生涯にいきなり涙しそうになるが、かつて100分de名著で取り上げられたときに聞いたものと、確かに同じような描かれ方がなされていて、そのことで本書の描き方が信頼のおけるものだと分かった。
生涯の全体を辿ったものもあるし、作家活動をしているある時期のものだけを描いたものもある。それぞれに個性的でよいと思う。そして、その代表的な作品を、どこかのコマで掲げているのが、またいい。聞き覚えた詩や歌がそこに出てくると、あああの人がそうなんだ、と多くの人に気づかれることであろう。また、その詩歌が、どのような背景で生まれたものなのかを実感できると、同じ言葉を耳にしても、また受け止め方が変わってくるというものだ。
あまりにもイケメン的に、いまふうに描かれているのも特徴的である。これらの画は、20人のマンガ家によって描かれているが、それがマンガ家の個性豊かに様々なタッチで描かれていたら、読者はきっと落ち着かなかっただろうと思う。これは全部同じ人の手によるのではないか、と思われるほどに没個性的にストイックに描かれたからこそ、一人ひとりの作家のことに気持ちが集中されて、読者の心に残るというものではないかと思う。
また、コマの外に、※による注が時折入れられているのもよい。本名がこれだとか、いまの地名はどうだとかいう注釈は実にありがたい。「中学」とあるのが現在の高等学校である、というような説明がさりげなく入れられているのも、とても親切である。脇に登場した人物も、なかなかの有名人であることがよくあるが、もちろんそのこともちゃんと注釈に入れられている。
文語体の詩にはその意味が現代語で添えられていて、学習のためにも大いに役立つし、ストーリーを追うときにもそれは適切である。俳句に於いては、すべての句に季語と季節が添えられており、「国語で習う」というタイトルに付く言葉に恥じないものとなっている。
それにしても、多くの文豪の、頭のいいことといったら、半端ない。小さな頃から成績優秀で飛び抜けていたことが、度々描かれている。それは、実家が裕福であったことをも意味するかもしれない。学校に行くことができたし、進学もできる経済力があったのだ。しかし、文芸を志すことは、出世街道を否むことともなり、時に家を勘当される。食い扶持を得るために労することを望まないとなると、極貧の生活を強いられることにもなる。また、そういう中で女性に支えられるというときもあるが、女性に逃げられるというケースも少なくなかった。男が捨てられて、細々と生きながらえる姿もあった。健康に優れない場合も多々あった。結核のような不治の病が多くの若者の命を奪った時代という背景もあるだろうが、さして体力をつける機会もなく、貧乏な生活をしているとなると、病気の改善には向かわないのが当たり前であったかもしれない、と残念に思う。
詩歌は、その作品の長さという点では、短いものである。だから、表層部だけを見ても、そこにこめられた思いや意味を、十分知ることは難しいであろう。それは芸術としては欠点であるかもしれない。まずは作者の思いというものを補い知るために、本書を入口として、また関心をもったところに首を突っ込むことができるだろうと思う。その次に、読者自身が、作者の意図を離れて、自由にその作品を味わうことが望ましい。そうして、作者の意図を超えて、読者の中で新たな意味をもち、新たな輝きを得ることもできるはずである。それでこそ、この芸術は生きることとなるだろう。
なお、この中に女性は、金子みすゞと与謝野晶子、そして岡本かの子の3人だけであった。1割というのは、少し寂しい。そういう時代だった、ということをも意味しているのだろうが、それにも増して、平安期から女性文学を花咲かせたこの国の文芸というものについて、考えさせるものがあったことも、申し添えておく。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド