本

『男子が10代のうちに考えておきたいこと』

ホンとの本

『男子が10代のうちに考えておきたいこと』
田中俊之
岩波ジュニア新書
\900+
2019.7.

 ジュニア新書は中高生をターゲットに記されていると思うが、学習用という感じのほかは、大人が読むに相応しいものではないかといつも考えている。もちろん、学習用のものでも、大人は必要なら読んでよいと思うのだが。
 しかし今回は、「10代のうちに」という限定が付いている。しかし10代の子をもつ私としては、親の立場からこれはどうだろう、というつもりで取り寄せてみた。すると、これもまさに大人が読んで然るべきものではないかという気持ちになった。
 どうしてか。帯にも「ぼくはどんな大人になっていこう…」とあるし、どう考えても若い男子に向けて語る口調でもあり、状況設定である。それなのに、心に刺さってきて仕方がないからだ。
 まずは、進学校に行く意味についての問いかけが、「はじめに」ぶつかってくる。綺麗事でもないし、受験を煽るようなふうでもなく、冷静に事実のところを説明してくる。この事実を淡々と述べるという著者のスタンスが、一頁目から伝わってくるところが、好感が持てる理由となる。この「はじめに」が思いのほか長い。そして、進学校に進む意義や動機などを見つめるとき、そこに「男子」という性の要素が関わってきていることに気づく、という仕掛けがそこにあった。もちろん女子が読んでもよい本なのだが、タイトルはやはり「男子」である。専ら男子に呼びかける本というスタイルで一向に構わないのである。
 こうしたスタートで、10頁以上にわたり置かれてきた前置きは、実は本書の頁数にカウントされていない。この後本文が、1頁からスタートする。このことは、男社会なるものが、気づかない前提となってすべてに先立ち存在しているということのメタファーであるのかもしれない。
 日本社会で「男」として生きることはどういうことか、具体的なエピソードやデータを交え、明かされる。男女は平等ではないか、というふうにタテマエを本気にしているならば、それは差別されていない、むしろ差別している側の男から見ている景色でしかないからだ。それはまた、男がよいという絶対的な価値観を導くものではない。男だからこそ、男らしさが求められ、苦しい面もある。著者は、とにかく熱くならずに、冷静に自体を分析して、まず私たちがいるこの世界を見渡していこうとする。
 歴史的に、ありがちな男と女の役割というのはどうなっているのだろう。えてして、道徳の乱れを憂いつつ昔がよかったとか、教育勅語の復活を図るべきだとか言う人は、実はある一定の最近の歴史的情況を理想として説得しようとしているに過ぎず、日本の歴史を見る中で自分の言いたいことに偶々役立つ特定の特殊な場面を、さも日本の伝統のすべてであるかのように宣伝しているだけである。しかし、それがどのように崩れてきたかを見ることも重要である。家族はどのように見られる経過を辿ってきたのだろう。少なくとも私たちの等身大の歴史と世界の中でそれを感じとろうとするひとも大切だ。
 そして男がどう追い詰められていくのか、という可能性も捉える。なにも男が優位な社会ではないのだぞ、と言いたいのではない。その男もこのようなままでは苦しい犠牲者となっていく可能性があるのだという、当たり前のことを告げてくるわけである。いまの若い世代の男子が感じるであろうことを十分に踏まえながら、説明が続く。但し、本当に若者の立場やその実感を適切に言い当てているのかどうか、それは今後の読者の反応を見るしかない。著者はひとの親である。親として、しかし親だけの視点にならないように、事実を踏まえ、子どもから知りえたことを重ねながら、真摯に向き合っているのだと言えよう。
 男という従来のようなあり方とは違うあり方へ。それは同性愛の問題も含んで拡がっていく。いまの問題を展開していく。男らしさという幻の問題を踏まえ、「多様性」とは何かということを共に考えようとしているように見える。
 こうなってくると、いつの間にか、と言っては失礼なのだろうが、男子の問題を論じるというよりも、ひとがひとを大切にし、互いに尊重すること、多様なありかたを認めることと、なかなかそれが実は、理想を掲げるような者にとっても、できないことであるというあたりまで攻めてくる。そう、ひとは自分では、分かっていてもできないことが多いのだ。タテマエではそれはよいことでも、自分の問題となっては嫌だ、という勝手な生き方が、実のところあたりまえの人間の姿であり、現実の社会なのである。
 社会は、そう簡単に大きくは変わるまい。しかし、男らしさに縛られない生き方が求められたいし、真の「やさしさ」が問われているし、他人から決めつけられる圧力をかわす知恵がここに見出されないかと考えているように見える。
 私たちが普通と考えていること、多分にそれは自分を縛ってくる。著者は自分が子育てに関わってきた生き方を選び実行してきたことに、最後の最後に触れている。その経験が、確かな説得力をもって、本書の主張となっていると私は見た。口先だけのものではなく、自分が人生を懸けてここまでやってきたこと、それを証しするようなことなのではないか、と。
 因みに私は、この著者以上に、子育てに関わってきたと言える。この人のしてきたことの意味は、よく分かると言えると思う。私もまた、これほどのことを口にしてもよいのではないだろうか、と妙な支援を得たような気持ちで本を読み終えた。




Takapan
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