『ビギナーズ・クラシックス 枕草子』
角川書店編
角川ソフィア文庫
\533+
2002.7.
このシリーズは手に取り易く、これまでも幾冊も触れてきた。まだか、と思っていたのを実は読んでいたこともあったので、枕草子は当然読んでいるだろうと思っていた。が、調べるとまだだった。これはいけない。
2024年である。どうしても頭の中に、ファーストサマーウイカの顔が浮かんでくる。なかなかよいドラマだ。実際の清少納言はどうだったか、また別問題だが、ドラマ「光る君へ」を観ていると、ここに書かれてあることも、確かに生き生きと伝わってくることがある。
とにかくこのビギナーズ・クラシックスのシリーズはいい。方丈記は短いので全文採っているが、たいていは抄訳である。しかし名場面が名を連ねており、現代語から入り、本文、そしてコメントや解説ということを繰り返す。
枕草子は、キレキレの感覚が迫ってくるものであり、文が跳ねている。橋本治氏が桃尻語訳という挑戦的な訳を世に呈してから久しいが、確かにそのような訳が似合うとも思えた。本書は、もちろん普通である。だが、訳が目立つようでは、ビギナーズのためには適切でない。しかしそれで十分、原文の伝えようとするものを伝えてくれていると思う。
古典における常識や習俗についても、時折解説を入れてくれる。夢に人が出てくるときは、その人に思われているというように考えるものだった、ということは有名であるが、衣を裏表逆に着ることでそれができる、という信仰めいたものについては知らなかった。また、「清ら」は源氏物語で高貴な方にしか用いない一級語であるのに対して、「清げ」は二流である、ということも解説にあった。75頁からの、年中行事の一覧表は、とても便利のだと思ったし、p29の清涼殿平面図など、へぇとの思いしきりであった。
それは単に私が無知であるからなのだろうが、こうした配慮が随所にあっていい。宮中行事やそこでの習慣なども、よく解説してある。その書かれた事柄に関して、当時その人が何歳であった、ということも常に意識されている。
また、古典の場合は、五感をフルに働かせて味わうべきだ、というふうに私は思っているのだが、特に香りは、この時代の根本的なところに位置しているように思う。もちろんそれを紙面で示すわけにはゆかない。文字でしか伝わってこないものは、想像力や知識で賄うしかない。室町後半ならば、いまとつながるところが多いと言われるが、とにかく平安期というのは、いまの私たちとは別世界である。感覚的なものを共有するのは無理なことなのだ。
しかし、人間観察においてはどうだろう。解説にもあるし、時折コメントしてあるが、清少納言の、理屈抜きの羅列による感性の表示は、けっこう響いてくることがあるのではないか。さまにならないこと、品のないもの、むさくるしいもの、といったふうに嫌悪の方向にあるものも、ふむふむと肯けるものを見出すことができるし、近くて遠いもの、遠くて近いもの、などは、私たちにも十分通じる感覚があるようにも思える。ほかにも、感覚的に好ましい、あるいは嫌な、そんなものが並んでいるのは、理屈によりものではない。彼女の感覚である。平安人もしばしばそのように感じていたのではないか、とも思えるが、さしあたり個人感覚としておこうか。
この枕草子、その「枕」とは何かについては、実はよく分かっていないのだという。最後の「解説」は最初に読んでもいいが、お薦めは、本文の後である。そうだったのか、と思わされて、もう一度最初に戻るような読み方ができれば、最高である。中宮定子を慕う清少納言の姿は、ドラマのイメージがどうにもインパクトがあったのだが、年齢にして10歳下の中宮を慕っていたのは確かであろう。枕草子は、ドラマにあるように、定子から貴重な神を賜り、綴ったという具合なのだろうか。一度嫌疑により実家に戻ることになったが、その時に書き始められた、とも言われる。その後再び宮仕えをすることになるが、中宮定子が難産のために崩御すると、その後の足取りは定かではないと言われる。どういう経緯でこれが書写されて広まったのか、そうしたことも、研究者はご存じなのかもしれないが、素人はとやかく言わないでおこう。
千年前に、女性の手で、優れた文学が次々と生まれていた。この文化を味わえることは幸運である。女性がどのように扱われていたのか、その社会的な意味は、いま私たちが案ずるほど、悪いものではなかったのかもしれない。紫式部にしてもそうだが、本名は誰も知らない。名のあるところに実がある、という先入観を捨て、全く違う価値観から、その時代なりに課題はあったとしても、人々はそれなりの幸福感を懐いて生きていたのではないか、と考えてみたい。なにより、この文章が、それを物語っているのではないだろうか。

た
か
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