『枕詞はサッちゃん』
内藤啓子
新潮社
\1600+
2017.11.
サッちゃんはね……いまの子どもたちには、どのくらい認知度があるのだろう。「おかあさんといっしょ」の世界では、歌われているのかもしれない。本書は、その作詞者として知られる、阪田寛夫氏について語られたエッセイ集である。しかも、日本エッセイスト・クラブ賞受賞作だというから、楽しく読めることはお墨付きである。
筆者は、その娘に当たる人。サブタイトルは「照れやな詩人、父・阪田寛夫の人生」となっている。必ずしも時間順とは言い難いが、縦横に父の姿を描いている。もちろん、母親もそこに参与するが、一応父親が主役である。
実は本書は、私の姉が貸してくれた。宝塚ファンの姉が、とある筋から手に入れたらしい。というと、詳しい方はピンときたかと思うが、この筆者の妹が、元宝塚スターの大浦みずきである。彼女も阪田寛夫の娘であったが、父の死後4年のとき、亡くなった。宝塚スターとしても有数の人気であったという。
内藤啓子氏は、この父、また妹の仕事のサポーターのような役割を果たし続けてきたという。そしていま、その家族の姿を形にした。実は妹のことも、その死後間もなく本にしている。今回、父が亡くなって10年余りを経てのことだが、思い起こして綴ったのだという。本書は書き下ろしである。
姉が、本書を「おかしいの」と称して薦めてくれたわけだが、クリスチャンとして描かれた夫婦のことが、実におかしいのだという。私はその思いがうれしかった。姉はそうした信仰をもっているとは言えないが、私の信仰に何か関わるものとして、本書を見いだしてくれたのだ。
とはいえ、この2人、なかなかの強者である。父のほうは、その両親が真面目なクリスチャンであったが、父寛雄は、娘の目から見て、教会に行く様子でもなく、飲んだくれで裸踊りをしていたことが思い出されるのだという。母親の両親もクリスチャンで、親同士が親しかった。そういう関係で結婚することになったらしいが、母は結婚してからも、寛雄のことを好きになれなかった、などと言っていたという。家庭内では互いに「オジサン」「オバサン」と呼び、子どもたちにもそう呼ばせていたというから、かなりユニークな家庭と言えるだろう。
エッセイは、初めから、父の死のときの話や、筆者から見て祖父母の葬儀の話などが続き、寂しいスタートとなるが、その中で、こうした人々の信仰生活が描かれている、と言ってもよいような気がする。これは、掛け値なしの、クリスチャンの姿である。それを、寛雄の詩を効果的に交えながら綴るので、家族の姿の中に、寛雄の作品がちゃんと収まっていることを伝える効果があるように思う。
さらに、三浦朱門や阿川佐和子などの親友たちに囲まれたその人生を、豊かに描いており、時に聖書に関係したエピソードや描写があり、クリスチャン読者はかなり楽しめるのではないかと思われる。文学的なことについても、身内しか知り得ないようなことを沢山零しており、文学研究科にはかなり参考になる貴重な資料ではないだろうか。決して作品だけから、あるいは社交辞令的に語られた人物像だけからは分からない、素の人間がこんなにも溢れているのだ。正に家族だからこそ知り得る、人間像である。
阪田寛夫は、『讃美歌21』にも優れた詩を遺している。「幾千万の母たちの」がそうだ。作曲は従弟の大中恩(めぐみ)である。戦争の話を父がした記憶がないというが、父の戦争体験は、この作品の中にこめられているのではないか、と語る。当たり前のように書かれてある戦時中の出来事だが、どれほどの辛いものであったか、私たちは想像するしかない。
この辺りまでは、教会や信仰の話が多かったが、その「不良クリスチャン」としての父の姿に触れつつ、次第に詩の作品にまつわる話が強くなってゆく。また、家庭の中の父親としての存在についての思い出話も、豊かに綴られている。また、妹の大浦みずきとの関わりについても、微笑ましく描かれる。寛雄は、熱心な宝塚ファンでもあったからだ。
最初に父の死や葬儀のことが書かれたときには、いわばあっさりと記していたのに、本書の最後のほうで再びその死を描くようになったとき、今度は筆調が変わった。鬱や認知の問題で、両親が変わってゆくさま、特に父は、かなり危ない患者であったことなどが、少しも隠すことなくぶつけられる。読んでいて、痛々しくなるほどである。こんなふうにもし私自身のことが描かれて読まれるようになるとしたら、かなり嫌だなと思うのだが、それほどに、露骨に病状が詳しく語られている。読んでいると、胸が締め付けられるような思いさえしてくるのだが、最初のほうの、どちらかと言えば爽やかな感じとは、ずいぶん異なるラストとなっている。
だが、それは冷めた目で見ているだけではないから、とも言える。やや辛辣な評価を娘サイドからは投げかけていることになるが、それでも、距離を保ちつつではあっても、感謝の思いは、十分伝わってくる。やはり、それは家族なのだ。
たとえ信仰があっても、浮世離れした、建前の人生がここにあるのではない。えてしてクリスチャンの生涯は、美化さえして、醜いところは忖度して表に出さないはずである。だがこれは違う。家族として、ありのままの父親を紹介している。惜しげもなく晒すのは、少々残酷かもしれないが、これが本当のクリスチャンの生き様であってよいような気もするのだ。美化されないクリスチャンの生き方。その意味からしても、本書は貴重である。ぜひ教会のクリスチャンに一度覗いてほしいものである。教会で常識になっていることが、必ずしも標準ではないこと、むしろそれがいびつであるということに、気づかされるかもしれない。そして、それでよいと思う。

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