『魔法つかいの弟子』
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
酒寄進一訳
ヨシタケシンスケ絵
理論社
\1300+
2021.3.
これまでも「ショートセレクション」のシリーズは、いくつかご紹介してきた。重すぎず、しかしつまらないことのない短い作品を、作家ごとに集めたものである。その作家についてそこそこ読んできた人でも、知らない作品に出会う可能性に高いセレクションとなっているものと思われる。
私も確かに、本書にあるゲーテの作品には、触れた覚えがない。いや、題は聞いたことがあるぞ、と思うものもあるが、中身はやはり知らない。
軽妙なヨシタケシンスケさんの絵が、どこかとぼけているようで楽しい。それがこのシリーズを明るく飾っている。深刻になりすぎず、短篇を楽しむには恰好のイラストである。
ここはゲーテの世界である。だから、本書にも、普通に「詩」と読んで然るべきものも幾つか含まれている。多少長い物語もあるが、「詩」となると極端に短いものもある。では本書のコンセプトは何か。これはタイトルからは直接伝わらないが、「訳者あとがき」に夜と、どうやら「デモーニッシュ」ということらしい。いまならば「ファンタジー」と呼ぶかもしれない分野だが、18世紀から19世紀にかけて生きたゲーテにとっては、「デモーニッシュ」という言葉がしっくりきたらしい。それについては、ゲーテ自身が語っているものがあるというので、そこに引用されている。「デモーニッシュなものとは、悟性や理性では解明できないものだ。本来、わたしの正確にはないものだが、わたしはそれに支配されている」のだという。
デーモンというのが悪魔を現すとすれば、デモーニッシュとは「魔性のもの」ということらしい。しかし、それは訳者は、「内に抱えた」ものである、と見ている。そこで、今風に宣伝するならば、「ファンタジー」としてもよいような分野の作品を、ここに集めてみたのだという。
しかし、それは聖書に関わるものに限るものではない。ギリシア神話や各地の民話に基づく題材が取り上げられ、ゲーテがアレンジし直した、というケースもある。特に最も長い「新・メルジーネ」というのは、元々フランスに伝わる蛇が実体の女との関係を描くものであったというが、それをドワーフに演じさせて構成しているように、ゲーテの味付けが濃いものとなっている。そしてこの物語、あまりにも目まぐるしく場面が変わり、事態が変化し、全く落ち着かないものを示している。だが、きっと「おはなし」として聞く子どもたちにとっては、もうワクワクが止まらないのではないか、と思う。否、これは大人向けのメルヘンであるかもしれない。それでも、奇想天外な進展に、ジェットコースターに乗ったような快感を覚えるのではないか、という気がする。
ゲーテはキリスト教世界に生きていたし、ひとりの神の許に世界像を築いていたのだろう、とは思う(この辺り私の思い込みであって、専門家は正しい見解をお持ちであろうことをお断りしておく)が、同時にまた芸術家でもあった。教義に囚われない、自由な感性で、様々な神について考えることができたのだろう。異教の神々すら、対峙するものとは決めつけず、どういう世界観にも対応できる、やわらかな心をもっていたに違いない。それが、作品の中に滲み出ているように感じるのは、ある意味でうれしいことだ。凝り固まった信仰は、怖いことすらある。
本のタイトルにも用いられた、冒頭の「魔法つかいの弟子」は、短い詩である。詩という形式でありながら、9頁で終わる。そこには魔法つかいの師匠が出かけたときに、弟子が魔法をつかってみたが、精霊を呼び出したものの、コントロールできなくなって困った、という様子を表している。このユニークな「おはなし」に、ヨシタケシンスケさんの絵が、また絶妙である。これはぜひ、実際に手に取ってご覧戴きたい。
多くの子どもたちに、いえいえ、子どもの心にもなれる大人たちに、自由な気持ちをもたらすこの本、正に魔法をかけてくれるものだと思っている。

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