本

『魔法ファンタジーの世界』

ホンとの本

『魔法ファンタジーの世界』
脇明子
岩波新書1020
\735
2006.5

 子どもたちは、大人が思う以上に本を読んでいる。小学校では絵本の読み聞かせが盛んである。絵本の読み聞かせが、必ずしも読書量に結びついていないというのも確かなことのようだが、それ以上に、本をたくさん読んでいる子が、実はファンタジーものばかり、ということがままある。分厚い本を読破していて感心したと思ったら、つねにファンタジーシリーズというわけである。
 常々私が口にしているように、ファンタジーものは、子どもたちにとって気持ちよい読み方ができるジャンルの一つである。それは、大人たちが優越している知識や経験を必要としない。誰でも、与えられた世界のルールを受け容れさえすれば、入り込める。そしてしばしば、子どもたちの方が、その世界に詳しいという意味で、大人に優越している。
 たとえばハリー・ポッターが商業的に大きな存在となっていて、子どもたちの間にファンタジーものが漂っていることもよく分かる。さらに、少し本好きとなれば、いつまでもハリー・ポッターとは言わずに、様々な魔法の世界の本を探していくことになる。
 ファンタジーの世界が失われている、という危機をテーマにしたのが『はてしない物語』であったのだが、皮肉にも、エンデのこの作品が、映像の世界でファンタジーが描かれる扉のようにも見なされることになる。はたして映像でまず与えられるのが、ファンタジーなのか?
 著者は、『指輪物語』や「ゲド戦記」がお気に入り。これらも、今や映画としてファンを増やすことになっているが、著者の眼差しはそこだけに留まらない。お手軽な魔法や超能力に何の意味があるのか。子どもの成長のために問題点はないのか。「しかえし」や「こらしめ」に終わるようなものでいいのか。ファンタジーとはいいながら、具体的な現実に戻ることを弁えていなくてよいのか。
 そのどれもが、重い問いかけである。そして、私もまた、類似のことをいつも考えてひっかかっていた。その私が、信仰という意味で楽しんで読んだのが、「ナルニア国ものがたり」シリーズであった。
 著者は、どちらかといえば「ナルニア国ものがたり」については批判的な視点をもっているような書き方であるが、ファンタジーという基準からすると、ルイスの描き方の中にどこか納得のできないものが多々あるという点は、うなずける。そのために多くの頁を割いているのも、それのほかにファンタジーをさほど読んでいない私にとっては、助かった。
 想像力を失うことは、世界の滅びに等しい。しかし、想像の世界は現実の世界とリンクしているのであろう。そこを、著者は強く伝えたかったのではないかと想像する。




Takapan
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