『君がいたから、君がいるから』
松浦美涼
アルファポリス
\1365
2004.9
知的障害をもつ息子とともに――そういう副題に惹かれて読んだ。
一人の母親の手記ともいえる内容で、ひたすらその調子が崩れることはなかったのだが、私は、引き込まれた。なぜだか分からないが、涙が出て仕方がなかった。
若くして結婚し、子どもを与えられた女性に立ちはだかる運命の数々が描かれている。ほんとうにこの女性一人がひたすら綴っただけの文章なのだろうか、というほどに巧い。巧いというのは、文学的に云々という意味ではないだろうが、誠実な心が伝わってくるという意味で、的確で分かりやすいのである。
女の子に続いて生まれた男の子は、あるとき突然、もう死を覚悟してくれと宣告される。だが、一命をとりとめた。ただし、もう脳全体の壊滅は免れないと告げられることで、絶望的な状況に母親は追い込まれる。しかし、障害は残るものの、一時の覚悟からすれば比較にならないくらいの回復を見せ、彼は生きる。それ自体が奇蹟であったようにも捉えられ得る。
だが、それが「障害」という呼び名で残るだけに、教育制度との衝突が生まれることになる。しかも、父親はもはや父親と呼ぶには相応しくない存在でしかなく、姉に、パパを捨てて来てと言われるほどになっていた。やがてついに離婚に至るが、その話を読んでいるうちに、よくぞそこまで耐えたものだと感動する。それは、女手ひとつで障害の子を育てるということの不可能な、日本の社会制度に起因するものであったことが、あまり強い主張がしてあるわけではないにしろ、考えさせられるものとして伝わってくる。
あくまでも、普通学級で育てたい。それは、特殊学級がダメだという理由ではなく、人とのつながりの中で生きていってほしいからであり、逞しく生きていくことを覚えるためだという理由を芯に据えているからであった。
だが、度重なる学校との交渉の中で、社会の矛盾や汚さに気づいていく。それを詳述はしないが、直にこの書で触れ、一緒にその問題を考えて戴きたいと願う。
新しい男性との出会い。これが大きかった。彼は、二人の父親として申し分のない存在となっていく。そして再婚すると、子どもたちは落ち着いていく。さらに、学校との話の場に父親が加わることで、混乱した事態が打開されていくことがしばしばだった。
この新しい父親との間に生まれた子どもの話が後半にも加えられ、ただの障害児の母親としての手記を超えて、この人の波瀾に満ちた歩みがますます明確になってゆく。
最後まで厭きさせない文章で、一気に読ませて戴いた。
人それぞれに背負うものがあるので、私も、たんに同情するのは変だと思うし、こうした母親にガンバレなどと無神経な声をかけることはまずありえないと思う。その意味で、特別にこの人の体験を褒めちぎるつもりはないし、だがまた、けなすようなこともしない。ただ、医療機関や教育機関の中での理不尽な考え方には、同様に憤りを示したいと願う。だから、私は直接障害のある子を育てているというわけではないにしろ、気持ちだけは、この著者の同志のような思いがする。
親は、すべて子どもによって親とせられ、親になってゆく。親が子どもをつくるというわけではないのだ。親とならなければ気づかないもの、見えてこないものというものが世の中にはあるから、それを純粋なまでに研ぎ澄ませてゆくと、こういう本に描かれたような思いになるのかもしれない。
著者のサイトもお薦めである。このサイトの原稿から、この本は生まれたのである。