本

『愛の手紙・説教』

ホンとの本

『愛の手紙・説教』
加藤常昭
教文館
\3000+
2000.11.

 加藤常昭氏の本は幾つも味わっている。説教について考えたいときに、避けることのできない日本の第一人者である。ドイツに詳しいから、近年のアメリカ流のものとどれほど親和性があるのか分かりにくい人がいるかもしれないが、もちろんアメリカ的なものについて何もご存じないわけではない。それを踏まえて、しかし神学的な根拠や背景を有しつつ、また実際にそれを実践してきた人の言葉として、味わうことは多くの人に必要なことではないかと考える。
 その大きな著作『説教論』を私は読んで、その次にこの本を開いた。この順序が実によかった。本書は、その『説教論』を受け継ぎ、補足するような点が多く、またそこからより強調すべきことを見出した著者が、自分の一つの仕事としての『説教論』のまさに続編として、本書を世に問うことをしているからである。もしそのような機会が許される方は、この順序でお読みになるとよいとお薦めする。
 しかしタイトルからすると、説教に少しばかり関心がある程度では、手に取るのをためらうことがあるかもしれない。副題は「今改めて説教を問う」となっている。本題と共に「説教」の語が重なっており、必ずしもよいネーミングではない。逆に言うとそれほどにまで「説教」へのこだわりがあるということでもある。ただ、「愛の手紙」というのは、この本のいわば結論であるにしても、説教をそれだと結びつけるだけの想像力が万人にあるわけではないとも感じる。
 しかし、何か共感を覚えるならば、これほど優れたタイトルもない。
 著者は、本書を順序立てて読む必要はないとしている。そのため、目次から開くと、章立てではなく、「考察」として5つが並べられている。説教をどのような角度から考察していくかという道が並行的に5つあるという意味であり、「聖書を説く言葉」「届くべき言葉」「終末論的出来事の言葉」「教会を造り上げる言葉」そして「愛の手紙」である。やはり「愛の手紙」は最後に読むとやはりよいかと思われるが、それも読者の随意となろう。
 説教は言葉によってなされる。ではその言葉とは何か。それが5種類の光に照らされて浮かび上がってくるというのである。説教者としてこれを読むならば、思い当たることや省みるべき点がたくさんあるだろう。それは、著者が他の場面でいろいろ言い続けてきたことが多いわけであるが、改めてまとめられているので、かつて言い足りなかった点や、新たに与えられた視点も混じり、よく整理されている。新しい時代に現れてきた考え方や方法も踏まえているし、日本の現状と将来についての憂いと希望とも添えられる。牧会という面からも、必要な知恵や視点が多々あり、ほんとうにこれは説教者や牧会者として弁えておきたい知恵の宝庫であると感じる。
 結果的に、加藤氏の意見にそのまま従えない、というケースもあるだろう。それでもよいと思う。はっきりと自らの意見として述べている点も多いので、意見を異とする人がいても当然よいだろう。だが、聞くべきだとは思う。著者はよく「パースペクティヴ」という語を使うが、見ている世界、立っている地平というものを、少なくとも説教に価値を置く者であれば、そして神の言葉が命を与え世界を変える力をもっていると信じている者であれば、共有する必要があるだろうと言いたい。
 これでもまだ、道半ばであるという。それでいい。私たちクリスチャンは、説教する者はもちろん、説教を聴く側も、ここにリスペクトを置くべきである。説教は会衆と共に成立するという考え方が強くなっている中で、会衆はただの受動的な受け手なのではない。ともに教会をつくるばかりか、説教そのものもつくるのである。その責任は重い。いや、だからこそ、信じ甲斐があるというものである。
 もっと読まれるべき書である。それだけは間違いない。




Takapan
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