『ライオンのおやつ』
小川糸
ポプラ社
\1500+
2019.10.
本の評判というのは、おおっぴらに挙げられているものばかりとは限らない。現代の口コミは、ちょっとした呟きからヒントを得るようなことがある。派手に宣伝しているわけではなくとも、この本よかった、という小さな声に誘われて、本書を手に取った。
タイトルからしても魅力的だ。物語については、その筋書きを明らかにしないのがこの欄の決まりだが、設定は紹介するという、曖昧な基準である。
冒頭は、「ライオンの家」の「マドンナ」からの書簡である。それを受けて、海野雫がライオンの家を訪れる。そこは、瀬戸内海に浮かぶ島。海野雫は、ホスピスに来た。回復の見込みのない病に冒され、余命幾ばくという状態であった。
しかし、いまのところは症状が顕著であるわけではなく、しばらく「ライオンの家」の様子を観察し、そこの住人のレポートをしてゆくような展開であった。その中で、自身の生い立ちや死への態度なども、行きつ戻りつ述べてゆく。両親はずっと昔に亡くなっている。母の弟に引き取られて父と呼ぶが、新たに母になる人が現れると、その母とは会いたくない気持ちから、独り暮らしを始める。女独りいま30歳を過ぎたが、家族がいるわけでもない。新しい母と会わないということは、その父ともずっと長い間会っていない、ということであり、いうなれば天涯孤独なのであった。
施設が「ライオン」の名をつけているのは、それが百獣の王であることにより、もう逃げる必要がない、何も恐れる必要がない、というメッセージを含んでのものだった。死に対して、逃げる必要はない。何もしないでよい。自由に暮らせる。不要な延命治療はしない代わりに、患者というよりは、そこの住人というような認識で、互いに交わり暮らすのだ。
但し、いずれ住人は地上での寿命が尽きる。そのときには、エントランスに一晩中ろうそくが灯されることになっている。それが、仲間による見送りとなるのである。雫が親しんだ人たちも見送られてゆく。だが、それはいずれ自分の番としてくるのだ。
ところで、「おやつ」とは何か。日曜日毎に、誰かの思い出のおやつの品を再現するカフェのひとときが恒例なのだ。そのとき、提案者の作文が読み上げられる。そのおやつは、その人の人生にとり、いちばん大切なメニューなのであって、そのためのエピソードがあるわけだ。それを全員に聞いてもらうということになる。読み上げるのは「マドンナ」。この方は実は高齢であるが、雫にももちろんだが、誰にもよく理解した接し方をする。本書ではこのマドンナによる語りかけの癒やしも、注目すべきポイントである。いろいろ取材もして造り上げたのだろうとは思うが、そもそもの作家の優しさや人の心への接し方というものが、そういうところに反映しているのだろうと思われた。
住人たちは、本名で呼ばれる必要はない。それぞれにニックネームが自由に決められ、たいへんユニークな名の人も多々現れる。物語の中でも、その名前、いわばハンドルネームみたいなもので終始展開するのだが、案外それが分かりやすい。これが事務的な名前だけで通されていたら、読みながらにしてこんなにフレンドリーな気持ちにはなれなかったかもしれない。名は体を表すというが、それぞれのニックネームが、その人を物語るというのは本当なのだ。
それぞれに疵を負い、過去に後悔を抱えながらも、そして死への恐れを感じつつも、「いま」を充実させてゆく。そうした環境が、「ライオンの家」で造られている。悪人がかき乱すことがない。それだけでも、ホッとさせるし、まっすぐに死を見つめられるのかもしれない。読者もまた、実のところ誰もがホスピスにいるようなものである。それを免れ者はいないという前提がある。それが、へたに悪人との闘いに興じるならば、向き合うべき相手が曖昧になったかもしれない。ひたすら、死を見つめる落着きが、ここにあるのだし、読者もまた、登場人物たちと共に、そこに立っている必要があるのである。
物語には、たくさんのよい場面やキャラクターが鏤められており、一人ひとりにドラマがあるので、このように紹介をしたところで、魅力を少しも伝えたことにはならない。それぞれが生き生きと描かれていて、誰もが心を動かされるところがあることだろう。すべての人に関わるテーマだからである。
2020年度の本屋大賞の2位に選ばれ、それに先立ちNHKのドラマにもなっていた。著者は、音楽関係でも著名だった小川糸さん。ほかに『食堂かたつむり』や『つるかめ助産院』『ツバキ文具店』といった作品も、映像化されよく知られている。やさしい言葉で、とても読みやすい。そして、心に届く。また良い本に出会えた。

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