『ライオンと魔女』
C.S.ルイス
瀬田貞二訳
岩波書店
\1600
1986.6
ナルニア国ものがたりの第一部。ディズニー制作の映画が2006年に日本でも公開となったことから、話題に上った。
どだい、商業の原理でもあるゆえに、その宣伝は大袈裟なところがある。映像不可能なファンタジーであるのかどうか、私にはよく分からない。むしろ実に素直で、実に理解しやすい物語であるようにも感じる。そしてそれは、たしかに映像化しない方が、よかったのかもしれない。
かといって、すべてが読者の想像の中だけで進むというのも、あまりにも基準がないのかもしれない。本には挿絵が施されている。これがよいガイドとなる。ディズニーの映画にしても、この挿絵の影響は大きい。というより、そのまま、というふうにも見える。
ファンタジーは、分厚い本であれ、子どもに人気があるという。どうしてなのかと常々思っていたが、一つの理由に思い当たった。それは、ファンタジーは、まさに想像の世界のことであるだけに、あらゆるこの社会の前提というものを、基本的に必要としないのだ。世の中のことを知らない子どもでも、本さえ読めば、本の中にある社会を理解し、構築してゆくことができる。大人に立派に対抗できるというわけだ。なにせ、大人の常識から判断することができない展開なのであるから、読んだ子どものほうが、確実に大人をリードしていくことができる。読んでいなければ、ハリーポッターさえ、子どものほうが知識が明らかに多いのである。
もちろん、世の中のことを知っていれば、そのファンタジーが、世の社会のどこをどう捻っているか、理解できることはある。しかし、それをしなくても、楽しめる点が偉大なのだ。
知っていれば、の話である。作者がわざわざそれを物語の中で教えるような野暮なことはしないでよい。それは訳者も「あとがき」で記している。ルイスは、キリスト教の教義を生き生きとここに描いているのではあるけれども、それをわざわざ説明などしない。
この物語は、明らかにキリストを伝えている。児童文学としてはこのシリーズしか著さず、専らキリスト教の伝道のための著作を続けたルイスが、願ったことはそれしかない。
キリスト教会では、この映画をたいそう喜んでいる。はたして、ディズニーが儲かるシステムの中で単純に喜んでいてよいのかどうかは分からないが、神はあらゆる媒体の中でも働かれる。ルイスもまた、悪く思わないのではないか、とも思う。
内容には触れなかった。読者がお楽しみになるとよい。私も、うんと楽しんだ。ビーバー夫婦、なんとも言えずいい味を出している。
ひとつだけ言及しておくと、映画用のダイジェスト版を読むくらいなら、原作をしっかり読んだほうが、きっと、いい。ただし、子ども用に、15分以内で朗読できる絵本が製作されているが、これは別である。