本

『生命の意味論』

ホンとの本

『生命の意味論』
多田富雄
新潮社
\1500+
1997.2.

 文章が丁寧で読みやすい。先に『免疫の意味論』で学んだので、こちらにも進んで見た。「超(スーパー)システム」と名付けた、個体の生命発生のすばらしい働きに注目しつつ、「自己」というものの生成を強調してきた著者であるが、これが免疫を説明する道であったとともに、さらに広く生命全体へと領域を見晴らしてみようということなのだろう。
 生命科学を説くのにどうしてこんなにうまく語ってくれるのだろうと快く耳を傾け続けるばかりであるが、2010年に亡くなっているが故に、その後の科学の発展とどう重ね合わせながら受け止めたらよいのか、ここをどなたかがまたつないで戴きたいと願っている。基本的には変わらないとは思うが、その後分かったこと、あるいは修正されたことがあるかもしれない。
 免疫はどうしても「自己」と「非自己」との関係の中で説明しなければならない。それが、さらにDNA、そして死へと向かう関係を問うことにもなっていく。また本書では、性というあり方にも目を向ける。そこにあるのは、きれいに二分されるものではない、曖昧なあり方であった。これはまさにいま注目されている事柄でもある。社会はどうしても、男と女との二分した上で制度をつくりたがる。分かりやすいからだ。しかし、生物学的にはそうなっていないというメカニズムが、科学的に示されるとなると、社会をも変える力をもつ者となるし、そのために救われる人もたくさんいることだろう。
 話題は、言語から寛容の問題、老化の現象から、実はきっちりとしたプログラムにより動くのではなく、極めてファジーなものである生命現象、それを、計算通りいかないと考えるのではなく、むしろ愉しんでいるようにも見える。
 そう、哲学者は古来「自由」という問題を考えてきた。思弁的に論じたところでそれは埒があかないことを示したのがカントであったが、それにしても、様々な領域で自由は考えられる必要があるとされ、社会的には、ひとが生きるために必要不可欠なものとさえなりつつある。この自由の問題は、この生命現象の中でも大いに考えられてもよいのではないかという気がしてくるのである。ミクロな視野で捉えた遺伝子ですら、プログラムの読み取りに曖昧さを有しつつやっているとなると、マクロな私たちの意志や生活の中に、それを考慮することの意味もあるかもしれないではないか。
 こうして、自己の問題も、また人間そのものをどう捉えるかということについても、本書は考察のひとつの基盤、あるいは根拠を提供してくれるものとなりうるかもしれない。著者は、人間の文化というものについても、ひとつの視野をもっている。生命や細胞の働きを考えるにつれ、それとマクロな問題とのつながりは、確かにありうるのではないかと、私も思ってしまうものである。
 著者はまた、カルト宗教の問題にも心を痛めている。それは生命のもつシステムから学ぶことも可能だというようである。つまり、カルト団体のありかたは、システム崩壊の道を進むことになるのだという。また、民族問題や人種問題にもこうした考え方が適用できると見ている。だが、それを著者にさせるというのは酷である。私たちが受け継がなければならないだろう。つまり、科学者として著者は、文化的価値の問題には本来その科学を以て直接立ち入ることはできなかったであろうはずなのに、それを冒して取り組もうとしていた。その眼差しは、決して悪くないと私は思う。ただ科学の論理を以ては、それが遂行できなかったのだ。それをするのは、私たちである。
 科学者には、エッセイストとしても優れた人が多い。科学の論文には書けないことでも、それを踏まえて一言差し伸べるということはできようかと思う。しかし中途半端に独善を述べても、逆に叩かれることが多い。傾聴に値するという姿勢で私たちも受ける必要があるし、また中には科学者が思い込みで社会の価値観を決めつけたようなものの言い方をすることもあるから、それなりの監視は必要であろう。
 いずれにしても、科学者の研究は後世に一定の成果を遺すものとなる。遺ったそれを受けて次の世代が、どう生かしていくのか、そこが問われていると私たちは自覚しなければなるまい。たとえば、伝染病についての章もある。これは奇しくも私が本書を読んだ、新型コロナウイルスの状況にマッチする。衛生や隔離という考え方が根付いたのも、こうした歴史的背景に基づく。私たちは過去のことをただの過去として置き去りにしてはならない。常に新しく、事態は襲ってくる。そのためにいろいろな人がいろいろな研究をし、考察を重ねているのだから、いざという時に、それが生かせるようになることが望ましい。思えば、私たちが一つひとつの細胞であるとして、地球という体のために働くものであるという視点が、ここにも自覚されるではないか。こうしてまた、生命研究は、自己を改めて学ばせるものとなりうる。確かに奥が深い。




Takapan
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