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『よく生き、よく死ぬ、ための 生命倫理学』

ホンとの本

『よく生き、よく死ぬ、ための 生命倫理学』
篠原駿一郎・石橋孝明編
ナカニシヤ出版
\25500+
2009.4.

 入手の過程について正直に述べると、まず古書店で魅力的なタイトルの本を見た。しかもナカニシヤ出版という、京都で懐かしい書店の出版である。チームの著作らしいので誰が書いているのかしらとぱらぱらと目次を眺める。と、ある人の名前が目に留まった。それは、先日深夜のテレビで取材され特集されていた人の名だった。その人の論文自体は私の関心を呼ぶものではなかったが、その人の書くものを見てみたいと思った。もちろん、他にもたくさんの論文が掲載されており、興味深い内容のものは沢山ある。そして、200円という値段で、買ってもいいと考えたのである。
 著者たちは、福岡応用倫理学研究会のメンバーであるという。存じ上げる方はしなかったが、福岡で活躍している人々のようだ。フレッシュな意見が多く、若さを感じた。それは、非常に真っ直ぐな気持ちで、素直な分かりやすい主張がなされているようだ、というものであった。やたら思想をこねくりまわしているようなところもないし、重箱の隅を突くようなふうでもない。世で話題になっている大きなことについて、ストレートなものの言い方をしているように見えたのである。
 自死の論理、生殖医療、臓器移植や脳死問題、ホスピスと死の自己決定権、といった問題に広く触れられていて、それぞれによい紹介と、筆者なりの意見が明確に述べられていた。思うに、これは教科書ではないか。大学での講義で使うテキストとして最適な内容なのである。参考文献も、欧米のものでなく、日本語で手に入りやすいものが、見た目も教育的に少量だけ並べられている。この価格は決して安くないが、ナカニシヤ出版なら仕方がないところだ。教科書としてぎりぎりのところだろう。いや、実際内容は、大学生に知らせるに相応しいものだと思ったのだ。
 最後のほうで、倫理という色の強いもので締められていた。ルソーの一般意志をもちだしたのがどう生命倫理なのだろうと思ったが、欲望の爆発をどう回避するかというテーマで、これは私なりにユニークで興味深く感じた。また、自分の命であるので自分の自由にしてよい、という通説に対する倫理的な検討も、意義あるものであると思われた。そう、死に行く人に論理も何もないのだが、自分の命を自分の好きなようにして何が悪い、と言われたら、それを止めたいと考える者はどう答えることができるというのだろうか。それは、どうして人を殺してはいけないのか、と問われた大人たちのようでもある。自分の命は自分がもっているのか。所有していると言えるのか。この辺りを論ずると、どうかすると神の問題に入る可能性がある。これを逆に神学者が答えるとしたら、聖書や神を根拠にするかもしれない。しかし倫理学でそれをドグマ的に振りかざすわけにはゆかない。それでも、何かしらそういう宗教的な観点というものが出て来ないとは限らず、与えられた命を生きるという方向性が見られることがあった。それでよいと思う。
 倫理学を、聖書から根拠づけるというのはおかしいが、聖書の思想と重なるものはあってもいい。その辺りを弁えておくならば、キリスト者はもっと倫理の分野に声を放ってよいのではないか。どうかすると聖書ではどうだ、と何か伝道的な観点か、またはとにかく聖書を理由してしかものを語れないようになってしまうことから、言ってしまいたいものだが、それを禁欲することで、しかし聖書に裏打ちされた思索がしっかりとそこにあれば、倫理学に貢献できると思うのだ。
 発行以来毎年刷数を数えていることから、ますます教科書だなと思わせるものであったが、もちろん大学生に独占させてよいとは思わない。教会でこうした問題に関心のあるグループができたとして、そのときに、ただ聖書学者の如何にも聖書的な意見を聞いて満足するのでない、社会に開かれた倫理を求めるのであるならば、これはお薦めしてよい本だろうと思う。事実、とにかく読みやすい。要点が分かりやすく書かれていると思う。執筆当時、30代40代といったメンバーが少なからずいて、円熟はしていないが、熱意ある文章を提供してくれている。そして福岡からの提言として、他の地域でも読まれたらよいな、と思う郷土愛も少し示したところで、推薦文としておこう。




Takapan
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