『生と死の接点』
河合隼雄
岩波書店
\1900+
1989.4.
2002年発行の第18刷を入手。価格もそのときのものである。
河合隼雄氏には、著書が実にたくさんある。関心はあるが、どれから読んだらよいのか、私も正直分からない。ただ、本書はその点よかったと思っている。確かに、昔話についてなど、詳しい議論は、他の良い本がある。ただ、本書はそうした詳論には関わらずとも、全体的なまとめのような形で、結論とそれを支える傍証などを、手際よく配置しており、全貌が見渡せ易いように感じたのだ。
その「あとがき」に先に触れるのはルール違反かもしれないが、本書のメリットを明らかにするために、そこからご紹介しようと思う。「心理療法という仕事は、いろいろな意味で「接点」の仕事であると思う。外界と内界、日常と非日常、心と体、それに東洋と西洋ということもある。親と子、男と女などの接点の問題もある。心理療法の仕事の毎日のなかで、これらの接点のあたりを右往左往しながら書いた者を集めて、ここに一冊の本として出版していただくことになった」というところから、「あとがき」は始まっている。そして本書の眼差しは、「生から死に至る人間の生涯が一般の見方とは少し違った様相を示し、人生をより豊かに生きる可能性を示唆してくれる」という、「元型(アーキタイプ)」の側からの視点によるものだと記す。
西洋の学問の方法が使われはする。だが、「死生観、世界観などの根本のところで日本的なものと欧米のそれがぶつかり合う」点を曖昧にしない。だからその「ぶつかりのなかから新しいものが生まれるのを期待する」のである。
ともかく、そうした意図の下に集められた、主張のはっきりした論文が集められているのである。広い視野を与えられる場がここにあると言ってよいように思う。
具体的に、その内実に触れてゆこう。
先ずは、「ライフサイクル」として、フロイトとユングの論点を明らかにし、古代からの理解を紹介する。やがて「自我」を重視する私たちの常識が、必ずしも普遍的なものでないことを強調する。そして、「成人」という捉え方と、そこへ至る「イニシエーション」の概念に注目する。
また、「老若男女」それぞれのあり方と関係を捉えようとし、西洋と日本に於ける対比を通じて、違いを際立たせる。さらに「老い」について、神話を扱いながら、ライフサイクルの行き着くところとしての老いと死後の生命へ目を注ぐようになる。そのとき、「老夫婦」のあり方をクローズアップするというのが、恐らくユニークなのであろう。昔話は、そういう潜在的な捉え方を検討するのに格好な材料であろうかと思う。
老夫婦に、子どもが関わる。そういうファンタジーは、必ずしも多くはないかもしれないが、そこで取り出された小説に、私は関心をもった。それで『トムは真夜中の庭で』や『まぼろしの小さい犬』を、早速図書館に借りに行ったほどである。
それから次に、昔話を中心に据えた議論が始まる。グリムの昔話のいくつかが取り出され、まずそこに「殺害」というモチーフを取り出してくる。自殺についての西洋と日本との差異も議論し、死と再生というテーマを読み取ろうともする。
ユニークなのは、「片子」という概念だった。動物のようなものや異界の存在、特に鬼の要素を半分もつ人間の物語が多々あることに気づかされる。そして私がふと思ったのは、いまアニメなどでひとつの流れとなっている、「異世界」ものである。「転生」を含めることもできようが、何かしら人間を超越したものと人間とがひとりの人間の中で同居するような設定が、実に多いのだ。しかもそれが、とりたてて敵のように振舞うのではなくて、人間として、また異類のものとして、人間に関わり続けるのである。現代的なアニメだなんだという中に、潜在的にか、昔話の精神がただ別の表現方法を採っているだけだ、と謂っても過言ではないように思えてならないのである。
また、西洋ではキリスト教というひとつの土台があるのに対して、日本にはそうした神の概念がないものだから、昔話にも、ずいぶんと方向性が異なる場合が見出されることが、度々指摘される。その中で、日本では何かしら「美意識」が強く表に出るし、また陰で支配している、という指摘は、傾聴すべきだと強く感じさせられた。
最後に、「境界性」の問題が中心となる論文が少し掲げられ、本書は結ばれる。ここはやや専門的な議論であるようにも思える。偶々私は「境界性」の問題に関わる人物を間近に見た関係で、素人なりに調べたことがあったので、ここで語られていることは自分なりに理解しているつもりに思えた。ただ「現代と境界」の方は、本書の中で唯一書き下ろしであり、「境界」について、比較的分かりやすく説明してあるように感じられた。治療する側が患者のそれに影響を与えられ、いうなればおかしくなってゆく危険性についても、強調されていた。治療側も、大変なのである。
ただ、境界例というものが、近代思想と文明の歪みのようなものを映し出す点についての指摘は、私たちは受け止めねばならないように思われてならなかった。異常だという目でその現象を見がちであるのだが、実は近代思想の異様さに適応できないがために、そうなっているのだとしたら、一般の者たちのほうが、本当は人間として異常であるのかもしれないという視点である。今後、しばらくの間それらのせめぎ合いが続くかもしれないが、時代は何か大きく変化してゆくのではないか、と著者は展望している。私もそう思う。
非常に考えさせられる、読めば実入りの良い一冊であった。自分はどこにいるのか、それを意識するのにも、意義ある本となっていたと思う。

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